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{{基礎情報 公家
'''当麻 豊浜'''(たいま/ たぎま<ref>新編日本古典文学全集『[[日本書紀]]』3の407頁。</ref> の とよはま、生年不明 - [[天武天皇]]10年[[2月30日 (旧暦)|2月30日]]([[681年]][[3月24日]]))は、[[7世紀]]の日本の貴族である。姓([[カバネ]])は[[公]]、[[冠位]]は[[小紫]]。
| 氏名 = 当麻豊浜
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 時代 = [[飛鳥時代]]
| 生誕 = 不明
| 死没 = [[天武天皇]]10年[[2月30日 (旧暦)|2月30日]]([[681年]][[3月24日]])
| 改名 =
| 別名 =
| 諡号 =
| 神号 =
| 戒名 =
| 墓所 =
| 官位 = [[小紫]]
| 主君 = [[天武天皇]]
| 氏族 = 当麻公
| 父母 = 父:[[当麻皇子]]
| 兄弟 = 束田王、忍田王、'''豊浜'''
| 妻 =
| 子 = [[当摩国見]]
| 特記事項 =
}}
 
'''当麻 豊浜'''(たいま/ たぎま<ref>新編日本古典文学全集『[[日本書紀]]』3の407頁。</ref> の とよはま)は生年不明 - [[天武天皇飛鳥時代]]10年[[2月30日 (旧暦)|2月30日貴族]][[681年]][[3月24日カバネ|姓]]))系図では[[7世紀当麻皇子]]の日本の貴族であ子と伝えられる。姓([[カバネ]])は[[公]]、[[七色十三階冠|冠位]]は[[小紫]]。
== 解説 ==
[[当麻氏]]は[[用明天皇]]の子である麻呂子皇子([[当麻皇子]])を祖とする一族である<ref>『日本書紀』巻第21、[[用明天皇]]元年正月壬子朔(1日)条、新編日本古典文学全集『日本書紀』2の500-501頁。『[[新撰姓氏録]]』右京皇別、佐伯有清『新撰姓氏録の研究』本文編155頁。</ref>。系図で豊浜はその当麻皇子の子と伝えられる。
 
== 解説経歴 ==
事績は不明で、[[天武天皇]]10年([[681年]])2月30日に[[小紫]]位で死んだことだけが知られる<ref>『日本書紀』巻第29、天武天皇10年2月己巳(30日)条。新編日本古典文学全集『日本書紀』3の406-407頁。</ref>。小紫は高位であり、天武朝の人物の(死後贈位でない)生前冠位の中でもっとも高い。子の[[当麻国見]]は[[壬申の乱]]でなんらかの勲功があったと見られ、[[持統天皇]]期に封戸を与えられている([[続日本紀]])。
[[当麻氏]]は[[用明天皇]]の子である麻呂子皇子([[当麻皇子]])を祖とする一族である<ref>『日本書紀』巻第21、[[用明天皇]]元年正月壬子朔(1日)条、新編日本古典文学全集『日本書紀』2の500-501頁。『[[新撰姓氏録]]』右京皇別、佐伯有清『新撰姓氏録の研究』本文編155頁。</ref>。系図で豊浜はその当麻皇子の子と伝えられる
 
事績は不明で、[[天武天皇]]10年([[681年]])2月30日に[[小紫]]位で死んだ没したことだけが知られる<ref>『日本書紀』巻第29、天武天皇10年2月己巳(30日)条。新編日本古典文学全集『日本書紀』3の406-407頁。</ref>。小紫は高位であり、天武朝の人物の(死後贈位でない)生前冠位の中でもっとも高い。子の[[当国見]]は[[壬申の乱]]でなんらかの勲功があったと見られ、[[持統天皇]]期に封戸を与えられている([[続日本紀]])。
 
== 系譜 ==
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*母:不詳
*妻:不詳
**男子:[[当国見]]<ref>鈴木真年『百家系図稿』巻9,登美真人</ref>
 
== 脚注 ==
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*[[宝賀寿男]]『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年
 
{{デフォルトソートDEFAULTSORT:たいま とよはま}}
[[Category:当麻氏|とよはま]]
[[Category:飛鳥時代の人物]]