「アーサー・ウェイリー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Bluncsud (会話 | 投稿記録)
Bluncsud (会話 | 投稿記録)
10行目:
 
=== 人となり ===
天才型の奇人であった。[[小泉八雲|ラフカディオ・ハーン]]を「日本を理解していない」と批判し、[[阿倍仲麻呂]]の[[和歌]]について[[漢文]]で書かれた後に和歌に翻訳された可能性を指摘するなど、東アジアの古典語に通じていたが、現代日本語は操れなかった<ref>直接会ったことのあるドナルド・キーンは『わたしの日本語修行』([[白水社]]p.168f)で「日本の古文、文語を詠めるようになるには三か月あればいい、三か月で誰にでもできるはずだ」と書いていることを紹介し、日本語も中国語も自由に読めるが話すことはできなかったと話している。ただ、「日本語は、話せないというより、決して話そうとしなかったという印象です」だと答えている。</ref>。イギリスから[[叙勲]]された際に喜んだ形跡がなかったことから、名誉にも無頓着であったと思われる。なお、来日しなかったのは「日本に幻滅したくなかったからだ」との憶測が語られているが、単に[[旅行|長旅]]が嫌いだったとの関係者の証言がある。また、ウェイリーが訳した『[[老子道徳経]]』の第四十七章には「戸を出でずして天下を知り、窓を窺わずして、天道を見る」との一節があり、自ら訳した老子道徳経を実践したのかもしれない。墓所はロンドンの[[ハイゲ]]墓地]]
 
== 『源氏物語』 ==