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[[ファイル:Odanobunaga.jpg|thumb|300px|織田信長]]
 
安土城は、[http://haji-igohistory.com/nobunaga/2018/11/18/odanobunaga/ [織田信長]]によって、現在の[[安土山]]に建造され、大型の[[天守]](現地では「天主」と表記)を初めて持つなど威容を誇った。建造当時は郭が[[琵琶湖]]に接していた([[大中湖]])<ref>[[昭和]]期に[[干拓]]が行われたため、現在は湖岸からやや離れている。</ref>。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートル。それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されている。総奉行は[[丹羽長秀]]、[[普請奉行]]に[[木村高重]]、大工棟梁には[[岡部又右衛門]]、縄張奉行には[[羽柴秀吉]]、石奉行には[[西尾吉次]]、小沢六郎三郎、吉田平内、大西某、瓦奉行には[[小川祐忠]]、堀部佐内、青山助一があたった。
 
この城を築城した目的は、[[岐阜城]]よりも当時の日本の中央拠点であった[[京都|京]]に近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があり、加えて[[北陸街道]]から京への要衝に位置していたことから、「越前・加賀の一向一揆に備えるため」あるいは「[[上杉謙信]]への警戒のため」などと推察されている。城郭の規模、容姿は、[[太田牛一]]や[[宣教師]]の記述にあるように'''[[天下布武]]'''(信長の天下統一事業)を象徴し、一目にして人々に知らしめるものであり、山頂の[[天守|天主]]に信長が起居、その家族も本丸付近で生活し、家臣は山腹あるいは城下の屋敷に居住していたとされる。