「博多華丸・大吉」の版間の差分

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=== 福岡吉本時代 ===
デビュー翌年から地元テレビ番組『どっちもどっち博多っ子倶楽部』([[TVQ九州放送]])にレギュラー出演(但し大吉はフロアディレクター)、1993年4月には『[[とことんサンデー]]』([[テレビ西日本]])の司会となり、[[福岡県]]内ではトップクラスの人気を獲得する<ref name=ametalk120517/>。世間では何となくこの時代の二人は九州・山口・沖縄圏内全域で人気があったと思われているのだが、宮崎の民放が2チャンネル、鹿児島の民放が3チャンネルしかない状況だったため、九州・山口・沖縄圏全域ローカル番組は難しい現状があり、実際のところ、福岡県内限定の放送しか出ていなかったため、福岡を出ると全く知名度はなかった<ref name=fujimon20170726 />。全国デビューする前の1995年に[[フジテレビジョン|フジテレビ]]『[[めちゃ×2モテたいッ!|めちゃ²モテたいッ!]]』(『[[めちゃ×2イケてるッ!|めちゃ²イケてるッ!]]』の前身番組)で「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来た[[ナインティナイン]]らとの共演も果たしている。また、この時にナインティナインは『とことんサンデー』にゲスト出演し、以降二組は親交を深める。当時の華丸・大吉は司会やリポーターなどの仕事が主で、テレビで漫才を披露する機会はほとんどなかった<ref name="1shu161026">『[[1周回って知らない話]]』(日本テレビ)2016年10月26日付放送分。</ref>。
 
1997年、前述の『とことんサンデー』で、テレビ西日本が事務所の了承を得ないまま大吉を長期間海外留学させる企画を番組上で発表し、地元局と事務所との間でトラブルになる。この頃、地元局と福岡吉本の2代目所長が仲が悪かったことがトラブルの背景にあった。このトラブルの解決まで1年間大吉が自宅待機として休業、番組も突然打ち切られた。この期間に大吉がネタを書き溜め、それ以降ネタづくりは華丸から大吉中心に移行した<ref>{{Cite book|和書|author=博多大吉|title=年齢学序説|date=2010-02|publisher=幻冬舎|isbn=978-4344017825|chapter=第10章 経験としての26歳}}</ref><ref name=17-trouble>{{cite news |title=博多大吉、17年前の突然の休業の真相明かす |newspaper=デイリースポーツ |date=2014-05-03 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/05/03/0006929130.shtml |accessdate=2014-05-13}}</ref>。