博多華丸・大吉

日本の漫才コンビ

博多華丸・大吉(はかたはなまる・だいきち)は、吉本興業東京本社(東京吉本)に所属する日本の漫才コンビ1990年5月にコンビ結成。NSC大阪校9期と同期と言っているが正確には8期とほぼ同期である。

博多華丸はかたはなまる大吉だいきち
HAKATA HANAMARU DAIKICHI
Hanamaru-Daikichi Hakata 2018.jpg
2018年撮影
メンバー 博多華丸
博多大吉
別名 華大
結成年 1990年
事務所 吉本興業
活動時期 1990年 -
出身 福岡吉本1期
影響 大木こだま・ひびき
出会い 福岡大学落語研究会
旧コンビ名 岡崎君と吉岡君
鶴屋華丸・亀屋大吉
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 漫才ものまね
ネタ作成者 博多大吉
現在の代表番組 あさイチ
華丸・大吉のなんしようと?
教えてもらう前と後
など
過去の代表番組 爆笑オンエアバトル
とことんサンデー
Hi-Ho!
おもいッきりDON!
おもいっきりPON!
華丸大吉の2020
華大の知りたい!サタデー
など
同期 千原兄弟
FUJIWARA
バッファロー吾郎
なだぎ武
カンニング竹山
ケン坊田中
コンバット満ほか
公式サイト プロフィール
受賞歴
THE MANZAI 2014 優勝
第26回福岡県文化賞(2019年
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吉本興業福岡事務所(福岡吉本)からデビューし、福岡で活動した後2005年に上京した。博多弁漫才を全国展開し活躍している。

略称は『華大』(はなだい)。THE MANZAI 2014優勝者。

メンバー編集

福岡市早良区出身。ボケ担当。立ち位置は向かって左。
福岡県古賀市出身(生まれは兵庫県神戸市[1])。ツッコミ、ネタ作り担当。立ち位置は向かって右。

来歴編集

デビューまで編集

2人は1989年福岡大学に入学した同期生で、大学入学時に2人ともお笑いをやっているサークルに所属したいと探したところ落語研究会しかなく、そこに所属したことで知り合う。勧誘情報には「ゆるい上下関係」とあったが、実際にはガチガチの縦社会で、サークルの不満を言い合うことで仲良くなった[2]。地元のタウン誌にサークル活動が紹介され、それを見たあるプロダクションから二人に「ヨッチャン・オカチャン」というコンビ名で、東京でやらないかと誘われたことがある[3]。最初の面接の時に出会った社長の雰囲気から、2人の本能が絶対に怪しいプロダクションに違いないと訴えかけて来たために、ただひたすら逃げる口実を探していたが、面会を重ねるごとにトントン拍子に売り出すパッケージングの形などが決まっていった。どうしても逃げ出したい2人がたまたま見た吉本興業主催の福岡でのお笑いオーディション番組の参加者募集広告を観て、社長の面会の日、君たちを東京の番組にねじ込むからと言われた日に、「すいません。僕たちは吉本所属を目指したいんです」と懇願して断った。このプロダクションは実は大きな芸能事務所で、断った建前上、吉本所属を目指すための必死さをアピールせざるを得ない状況に追い詰められたとのこと[2]

吉本興業福岡事務所創設初となるオーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』(テレビ西日本、1990年4月29日放送)に、「岡崎君と吉岡君」の名で漫才コンビとして出場。番組での決勝出場者のうち8組中2位までが合格となり福岡吉本一期生となれる副賞があったが、2人の結果は4位だったため不合格だった。だが、事務所立上に関し人手が足りないという理由で、優勝コンビ「ター坊ケン坊」のケン坊田中経由で福岡吉本から声がかかり、2人とも大学を中退し、同年5月に1期生となる[4]

初代吉本福岡事務所長となった吉田武司の「芸人は本名ではなく芸名で」という方針で、「華丸・大吉」のコンビ名でのデビューが決まっていたが、「芸名(平仮名で)7文字が売れる」という理由で「さらにめでたい名前をつけよう」という意向から「鶴屋華丸・亀屋大吉」(つるやはなまる・かめやだいきち)と命名された[1]

福岡吉本時代編集

デビュー時点では深刻なコンビ格差が生じ、『お笑いめんたい子』優勝コンビである「ター坊ケン坊」のター坊としてデビューしたカンニング竹山と華丸が2トップとして売り出され、福岡吉本1期生総出演の『どっちもどっち博多っ子倶楽部』(TVQ)にレギュラー出演が決まるも、大吉はフロアディレクターとして見切れ出演をしていた。竹山が1年で福岡吉本を辞めたことでようやく大吉にも出番が回ってくるようになり、大吉は「竹山が上京しなかったら今でも裏方を続けていただろうし売れてもいなかった」と語っている[5]。以降、華丸は福岡吉本の看板芸人として、大吉はMCとしてローカル番組に出演し続け、『夜はとことん』、『とことんサンデー』、『華丸・大吉の鉄腕ももち』(テレビ西日本)、『今夜も大勉強!』(RKB毎日放送)など多くのレギュラー番組を獲得し、福岡県内で中高生を中心にトップクラスの人気を獲得した[1]

1995年にフジテレビめちゃ²モテたいッ!』で「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。また、この時にナインティナインは『とことんサンデー』にゲスト出演し、以降2組は親交を深める。なお、当時の華丸・大吉は司会・MCが主で、テレビで漫才を披露する機会はほとんどなかった[6]

1997年、『とことんサンデー』において、テレビ西日本が福岡吉本の了承を得ないまま大吉を1年間アメリカに留学させ、随時番組でその模様を追いかける企画を番組上で発表した。しかし、吉本側の了承が無いままの発表だった為、同局と吉本との間でトラブルになった。このトラブルの背景には、地元局と福岡吉本の2代目所長だった玉利寛が仲が悪かったことが挙げられる。大吉はこのトラブルの解決まで1年間自宅待機し休業、番組も突然打ち切られた。この休業期間に大吉がネタを書き溜め、それ以降ネタ作りはそれまでの華丸中心から大吉中心に移行した[7][8]

大吉の休業が明けた1998年4月からは『とことんサンデー』と同じ時間帯に同じコンセプトの番組『Hi-Ho!』が開始。しかし、テレビ大阪の深夜番組『吉本超合金』が福岡でも放送開始されたことや、1999年に福岡吉本の自前劇場「吉本111劇場[9]」がオープンし、大阪吉本の芸人が福岡の劇場に出演し始めたことで「大阪の笑い」が福岡に入るようになった[1]。吉本超合金のメイン出演者であるFUJIWARA2丁拳銃には福岡でも熱狂的なファンがつき、華丸・大吉のネタで笑っていた観客が全く笑わなくなった。また、人気者のFUJIWARAが『めちゃ×2イケてるッ!』ではスベリキャラの様に扱われている姿を見て、大吉は東京のテレビに畏怖を感じた[2]

1999年から2003年まで『爆笑オンエアバトル』に出演し、13勝4敗でゴールドバトラーに認定された。

2001年、第1回『M-1グランプリ』に出場するも結果は11位で決勝進出はならなかった。結成10年以下の出場資格が定められていた中、既に結成11年で出場資格は無かったが、初回のM-1は日本各地の吉本の劇場に客席審査員を置くシステムだったことから、福岡吉本からも1組出場させたい吉本興業側から出場要請を受けた。準決勝まで進み、ほぼ決勝進出するからと本放送直前の『ナイトinナイト』(ABC)の生出演が決まるなどしたが、直前に主催者側から「10年を超えているのはやはり駄目」と、実質失格の扱いとなった。この時点で結成10年を超えていた為、次年度以降は出場出来ず、これが最初で最後のM-1出場となった。

2002年頃から華丸・大吉の東京進出の機運が高まっていたが、2人に目をかけていた当時吉本興業社長の林裕章が病に倒れたことや、福岡吉本側が看板芸人である華丸・大吉を手放したくなかった事情もあって、この話は一旦立ち消えとなった。

2004年4月、屋号を博多に変更し、現在の芸名へ改名する。改名のきっかけは、姓名判断に詳しい福岡事務所の女性パート職員が退職する際「『鶴屋』と『亀屋』は運気的に最低の名前」、「『鶴屋』がほぼ0点に近い。『亀屋』は口に出せない(ほど最悪)」と判断され、「ずっと気になっていた。お願いだから改名して欲しい」と頼まれたためである。その女性から「いい名前がある」と勧められたのが「博多」の屋号で、「屋号を博多に変えて2年以内に2人が東に向かうと運気が上がる」ともアドバイスされた[1]

改名に際し、かつて博多淡海を名乗っていた元吉本新喜劇座長の木村進にも報告し、快く認めてもらったという。

東京進出編集

2005年4月、3年越しの念願だった東京本社へ移籍。東京進出のきっかけとしては、華丸曰く先述の元女性職員のアドバイスに「背中を押していただいた」ことや[1]、華丸の長女が小学校入学を控えており、就学中の転居を避けたかったこと[10]があった。また同期の竹山がカンニングとして全国区でブレイクした時は、かつての同期であることやネタも標準語主体だったことから祝福できたが、福岡で仕事がなく、やむなく上京したはずの福岡吉本6期後輩のヒロシが、別の事務所に入り直して熊本弁のネタでブレイクして凱旋した際、福岡時代には見たことも無いくらいウケていたことから、「一回、東京のフィルターを通して東京で売れたという肩書きがあると、こんなに違うもんだと実感した」とショックを受けたことが、東京進出を決意した原因となった[11][12]。さらに、BS放送開局記念番組に出演した島田紳助が「東京の時代は終わった。これからは1回宇宙へ飛ばしてそこから配信していく時代だから、東京に限らず地方どこにおっても出てくるやつは出てくる」と発言したのを耳にした華丸が、「ずっと信じて」福岡で活動していたものの、13年目に紳助と初めて話す機会があり、「『何で君ら福岡でやってんねん』って聞かれて、よくぞ聞いてくれました!ですよ。(紳助さんの言葉を信じてやってきたと)やっと言えると思って、言おうと思った瞬間に『アホちゃうか?東京やで。何してんねん』って言われた」ことも決断を後押しした[13]。当時NHK福岡で共演していた氷川きよしも、「福岡にいてはもったいない」という表現で東京行きを勧めていた[6]

上京後はルミネtheよしもとでの舞台などが主な活動の場となったほか、月に数回は福岡での活動を並行した。当初、テレビ局や制作会社には新人とみなされたため、東京進出直後はテレビ出演1本あたりのギャランティは福岡時代より断然減っていたが、舞台での出演数をこなすことや、上京前から出演していた『ピィース!』(テレビ西日本)や『ナイトシャッフル』(福岡放送)などのレギュラー番組が、東京での華丸・大吉を密着取材するコーナーを引き続き放送するなどの応援により、それなりの生活が出来ている状態であった。また、35歳になってから上京し各お笑い番組のオーディションを受けるものの、当時は「どの番組もフレッシュな若手が欲しいらしく、変にこなれた自分たち(華丸・大吉)は、求められていない感があった」ため[14]、「面白いんだけど、それが伝わりづらい」との理由で落とされたり[15]、10歳以上年下の審査員から「痛々しい」と言われたような悲惨な経験もしている[11]。加えて、福岡時代に「東京に出てきたら」と言ってくれていた人々の態度も一変、「本当に来たの?」「福岡に居ればいいのに」と感じられたとのこと[16]

ブレイク編集

2005年10月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)の企画コーナー「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」第6回大会に華丸が出場した。同番組は上京後初めてオーディションに合格した番組であり、華丸にとって本来4~5番手のものまねレパートリーだった[14]アタック25』における児玉清のものまねで優勝し、一躍注目を浴びる。続く第7回大会も優勝し、優勝賞金100万円を獲得。同コーナーでは唯一の連覇達成者となった。結果として、「伝わりづらい面白さ」を活かせる同コーナーが華丸の、ひいては「博多華丸・大吉」の知名度を大きく上げることになった[15]

2006年2月、華丸が『R-1ぐらんぷり』に出場し、東京での看板ネタとなっていた児玉清のモノマネを「あいうえお作文」と組み合わせたネタで優勝を果たした。決勝直前、華丸は予選でずっと使ってきた児玉清のネタを変更し、急遽「ゴルフコンペを間違えてゴルフ場の受付と揉める博多のおじさん」のコントで決勝に出場すると言い出したため、大吉と、密着取材をしていたテレビ西日本のディレクターが2人がかりで児玉清ネタにするよう説得し、大喧嘩になった。最後は華丸が折れた形になったが、大吉の説得が正しかったことで「コンビとしての上下関係が決まった」となり、これ以降のコンビの主導権は大吉が握るようになる[17]。なお、この大会で披露したネタを作ったのは大吉であると言われていることに対し、大吉自身は「ネタは2人で作って、(大吉が)『児玉清さんをやるように言った』というのが本当のところ」としている[18]。このような経緯もあり、華丸は優勝賞金500万円の半分をなかば強引に大吉に渡した。

2006年5月19日にはなかやまきんに君からの紹介で『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに初出演した。

2008年9月4日放送の『アメトーーク』の企画「中学の時イケてないグループに属していた芸人」に大吉が出演。自身の暗い経歴などのネガティブなトークが注目されたことで同番組への出演回数が増え、「大吉先生」と称されるキャラクターやトークの巧さが世間に認知されるようになる。大吉自身は、2012年4月から『たまむすび』(TBSラジオ)の水曜レギュラーに抜擢されたこともブレイクの要因と考えている[15]

『アメトーーク』では、2012年3月8日放送の「小忙しい芸人」にて、営業先での「華丸・大吉あるある」トークが盛り上がり、宮迫博之の「今度、華丸・大吉芸人やろうや」という提案がきっかけで、2012年5月17日と24日の放送で華丸・大吉に所縁のある芸人が集結した「華丸・大吉芸人」の企画が実現した。さらに、2012年の年末には「多くの芸人に愛され、視聴者に暖かい笑いを送り続けた」との理由で、2人に同年のアメトーーク大賞が授与された。

『THE MANZAI』優勝編集

2011年、コンクール形式としては第1回となる『THE MANZAI』に出場。本人達は「若手の大会だから」と出場しないつもりだったが、西川きよし今いくよ・くるよらから説得され出場を決意した[19]。予選を勝ち抜き認定漫才師50組に選抜され、本戦サーキットを13位で通過し決勝大会に進出する。「(大会最高顧問のビートたけしに)“あんちゃん達面白いね”と、その言葉だけ頂けるように頑張ります」と臨み、1回戦で「乾杯の挨拶」のネタを披露したが、福岡吉本の後輩であり自らも評価していたパンクブーブーに大差で敗れる。獲得したのは関根勤からの一票のみだったが、ビートたけしが「華丸・大吉にもっと(票が)入ってもよかったんじゃないか」と評し、「泣きそうです」と応えた。

2014年、再び『THE MANZAI』に出場。2013年の年末にたけしから「なんであんちゃん達(大会に)出ないの?」と直接問いかけられたことが出場のきっかけで、大木こだまなどの先輩芸人も大会出場を後押しした[20]。認定漫才師に選抜され、本戦サーキットを6位で通過し決勝大会に進出する。1回戦はワイルドカード枠で出場した三拍子の4票に対し6票を獲得して競り勝った。出番直前に出場した三拍子のネタがかなりウケていたため、大吉は出番前に敗戦を悟っており、勝利決定の瞬間には大吉が思わず「(2本目のネタ合わせをしていないため)まずい」と言ってしまったほどの意外な最終決戦進出であったという[21]。最終決戦では得意ネタである「宴会の抜け出し方」を1回戦のネタも絡めて披露した。このネタを選んだのは客層を考えた上での大吉の独断だったが[10]アキナトレンディエンジェルを相手に10票中9票獲得する圧勝で、優勝に輝いた。

たけしは番組エンディングで「俺は(華丸・大吉の)ファンだからなぁ」と述べ、放送後の記者会見では、その他の出場者である若手芸人の漫才と華丸・大吉の漫才の違いを、流行りの食堂と老舗の名店の味に例えて讃えた[20]。大吉は番組の最後に「この予選に出ていない方も僕らの先輩たちも、本当に面白い漫才師さんは劇場にいますので、是非皆さん劇場に足を運んでください」と挨拶した。

『THE MANZAI』の優勝者には優勝賞品としてフジテレビ深夜帯の冠番組が贈られるが、当初2人は既にキャリアを重ねたコンビとしての優勝であったことや、系列のテレビ西日本で冠番組『華丸・大吉のなんしようと?』を持つなど、既に数本のレギュラー番組があることから、賞品番組の辞退も考えていた[22]。しかし、『THE MANZAI』の他の出場者も含め、若手芸人に全国区の番組に出る機会を与え、彼らに経験を積んで欲しいとの思いもあり、2015年4月から9月まで、若手芸人やパフォーマーを迎えるトーク番組『華丸大吉の2020』のMCを務めた[23]。なお、『THE MANZAI』が2015年以降、『THE MANZAI マスターズ』(2017年までは『プレミアマスターズ』)と銘打った漫才師の競演形式となってからも、華丸・大吉は番組から招待されるという形で毎年出演をしている。

東京スポーツ映画大賞と並行して行われる「ビートたけしのエンターテインメント賞」では、2012年と2015年に「日本芸能大賞」を受賞している。2015年は単独受賞であった。

結成25周年編集

2016年1月9日・10日には、福岡・キャナルシティ劇場にて「博多華丸・大吉結成25周年ライブ」を開催。岡村隆史などコンビにゆかりのある多数の芸人がゲストで登場したほか、タモリ、ビートたけし、明石家さんまらがビデオメッセージで祝福し、25周年に花を添えた[24]。さらに、このライブが成功を収めたため、翌年以降も「博多華丸・大吉○○周年記念公演」と題したライブを毎年行っている[25]

2018年4月2日より、有働由美子井ノ原快彦V6)の後任として、NHK総合あさイチ』の2代目キャスターに就任し、新しい「NHKの朝の顔」となった。

2018年10月には、「漫才を中心に様々な分野において活躍しながら、県内外において福岡県をPRし続けており、福岡県の文化の振興・発展に大きく貢献している」との理由で、第26回福岡県文化賞・社会部門を受賞。2019年3月5日に贈呈式が行われたが、スケジュール都合でビデオメッセージでの出演となった[26][27]

芸風編集

博多弁を多用した漫才をメインとして演じている。華丸がとぼけた言動を繰り返し大吉がたしなめる展開が主だが、ごく稀に、大吉がネガティブな発言をし華丸が困惑するという、2人のボケとツッコミを逆転させた展開になることもある。自身も認める通り、ネタに含まれるボケの数は決して多くないが[28]、ゆったりとした間で丁寧にボケとツッコミを繰り広げる漫才を演じており、このことが『THE MANZAI 2014』での勝因にもなった[29]

漫才の題材としては、2人が好きなお酒や宴会に関するネタが多く[30]福岡ソフトバンクホークスなどの福岡・九州ネタ、中年男性のよくある言動を描いたネタ、さらにはドラえもんYoutuberを扱ったネタなどもあるが、他人を攻撃するネタは演じない。こうした「穏やかで暖かい笑い」は、ファミリー層に広く支持されている[6]。一方で、トークや大喜利など、漫才ネタ以外の部分においては毒舌を放つこともあり、特に大吉はその傾向が強い。「日経エンタテインメント!」誌による、芸能人の認知度と関心度を数値でランキング化した「タレントパワーランキング」では、2018年の芸人部門において、サンドウィッチマンに次ぐ2位として華丸・大吉がランクインした[31]

大吉が華丸を強く叩くなどといった、いわゆる「ドツキ」系の激しいツッコミも、ほとんど行われない。これは、福岡には「博多仁和加(はかたにわか)」という伝統芸能があり、演者のボケた言動を観客が受け入れて拍手を送り、ツッコミのように否定する文化ではなかったから、と理由づけている。大吉は漫才での自分の役割を「ツッコミではなく、華丸をなだめている」としており、「いつかは全編ツッコミのない漫才をしたい」と語ったこともある[32]

『THE MANZAI 2011』出場以降は、華丸が大吉に「ちょっとご相談があるんですが、○○になりたい(○○したい)」と語りかけて本題に入るネタが増えている(この導入を使わないネタもある)。華丸がネタの中で演じる「お酒好きで陽気な博多のおじさん」のキャラクターは、華丸の弟によれば、土建業を営む華丸の父親そのままであるという[33]。華丸がボケる際にオーバーな表情を見せることも多く、大吉は「華丸・大吉の漫才って、華丸さんのにらめっこなんですよ」と例えている[34]

頻度は低いが、コントも行っている。漫才と同様に華丸が博多のおじさんを演じるネタや、華丸が得意とする児玉清、川平慈英といったモノマネを取り込んだネタなどがある。

テレビでは4分程度のネタを演じることが多いが、大吉によれば、自分達の本分は舞台で演じる15分のネタであるとしている。ネタ作り担当の大吉は、2014年頃は、将来的に舞台中心の活動となることを見据えて、1ヵ月に1本のペースでネタを作ると語ったが[32]、近年では「題材が年相応のものじゃないとイヤ」なので「漫才のネタが、年々できなくなってきている」と苦労を漏らしつつ、「年間3回くらい、ネタのイベントとか番組に呼ばれたときに作る」としている[30]

エピソード編集

福岡吉本出身の芸人の兄貴分的存在で、多くの後輩から慕われており、飲み会での乾杯の音頭は常に華丸が取る[35]。特にパンクブーブーとは交流が深く、彼らの実力と才能をいち早く見抜いた芸人の1人でもある。確かな実力を有しながらもなかなか売れなかった彼らを不憫に思い、大吉は七夕の短冊に「パンクブーブーに光が当たりますように」と書いたことがある。その年にパンクブーブーはM-1王者に輝いた。 一方、パンクブーブーも、華丸・大吉が東京進出して間もない頃は、2人が早く東京や東京の芸人に馴染めるように色々と売り込んだり、心を砕いたりしていたという。黒瀬は華丸のことを5つしか年が離れていないにもかかわらず「お父さん」と呼んでいる[36]

他の芸人が忙しければ断りそうな細かい仕事や、スケジュール上無理と思われるような仕事も断らず受けてしまうため、自嘲気味に「よしもとの犬芸人」と自称している[35][37]。ただでさえ「東京と博多の滞在が半分ずつくらい」のため、東京と福岡を往復するのに、年間で約250回も飛行機に乗るという状況に加え[38]、仕事で東京→長崎→長野→福岡や、福岡→浅草→下関、新潟→大阪→新潟など、「日本地図をもう一度見直して〜」と思うような移動になることも多々あり[39]、「マイレージは常に20万マイル以上持っている」とのこと[38]

コンビ仲は非常によく、2012年1月19日放送の『アメトーーク』の企画「愛方大好き芸人 第2弾」などで「コンビでカラオケに行く際は必ず2人で修二と彰の『青春アミーゴ』を歌う」といった仲良しエピソードが語られている。

ナインティナインとは、1995年に彼らが福岡を訪問し『めちゃ²モテたいッ!』『とことんサンデー』に互いがゲスト出演して以来の付き合いで[16]、公私ともに仲が良く、特に同い年(同学年)でもある岡村隆史と大吉は互いに親友と認め合っている[40]。『THE MANZAI 2014』では、ナインティナインは司会を務めつつも華丸・大吉を応援しており、矢部浩之は「本当にさすがだな」、岡村も「めちゃめちゃ格好よかったです」と優勝を喜んだ[20]。大会終了後には、大吉は岡村と、華丸は矢部とそれぞれ祝杯を挙げた[41]

カンニング竹山とは、共に吉本興業福岡事務所の1期生である同期だが、竹山は「福岡で売れても意味がない」と、わずか1年で福岡吉本を辞め、「逃げるように上京」し、後に中島忠幸とのコンビであるカンニングとして全国区での人気を得るが、久々に福岡で華丸・大吉とロケを行った際に、天狗になっていた竹山は「(福岡は)こんなゆるいロケでいいんだ」と悪態をつき、激怒した華丸との間に確執が生じた。この竹山の発言の裏には、「10年間東京でくすぶっていた竹山」と「ずっと福岡で人気者だった華丸・大吉」を比較しての嫉妬や、その焦りが「福岡そのものへの恨み」へと変わったことがあった。しかしその後、別のロケで華丸と竹山が共演した際、華丸・大吉が竹山の活躍を喜び応援していたことを知った竹山は「10年人を恨むことばかり考えていた」と後悔し、『R-1ぐらんぷり』での華丸の優勝も心から祝福できるようになった[42][43]。現在は両者の確執も解消され、『THE MANZAI 2014』での華丸・大吉の優勝に竹山が「やっぱり華丸大吉には勝てなかったと。でも今は心から嬉しい!本当におめでとう!」と祝福のツイートをしたり[44]、華丸・大吉と竹山が宴会を開いたりなどの交遊をしている[45]

千原ジュニアからは「華丸と大吉の顔と名前が逆」と言われている[46]松本人志は『THE MANZAI 2014』について「群を抜いて面白かった。芸歴が長いとか有名とか関係なく、華丸・大吉が優勝する以外に(2014年出場者で)上手いコンビがいなかったから当然の結果。ある意味で若手もベテランも良い勉強になった」と語っている[要出典]

立川談志からは、東京MXテレビの番組で談志の前で漫才を披露した際、「まあ、内容として、こういう優しいネタを選んでて。俺はとっても文化的には好きだなあ。あとで、いいアドバイスしてやるよ」と声をかけられた。その後、収録後の打ち上げで別室に呼ばれ「いいか。よく聞け。これは過去、爆笑問題にしか言っていない。――絶対に、解散するなよ」とアドバイスされたという[47]

2020年にコンビ結成30年、かつ東京進出から15年の節目を迎えることから、それ以上東京にいると博多で過ごした15年のキャリアを東京でのキャリアが越してしまうため、華丸は「東京にいるのは50(歳)まで」「東京オリンピックは福岡で見たい」と語っている[48]

出演作品編集

単独での出演は博多華丸博多大吉の項を参照。

現在の出演番組編集

テレビ番組編集

レギュラー出演
定期ゲスト出演
特別番組

ラジオ出演編集

CM編集

過去の出演番組編集

テレビ番組編集

ラジオ番組編集

テレビドラマ編集

劇場アニメ編集

CM編集

出囃子編集

以前は「いざゆけ若鷹軍団」を使用していた。

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f 雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』(テレビ朝日)2012年5月17日付放送分。同番組DVD Vol.24収録
  2. ^ a b c フジモンが芸能界から干される前にやりたい10のこと』(AbemaTV2017年7月26日付配信分
  3. ^ 博多華丸 これぞ 十九の春! - ||| 博多華丸・大吉私信電心 |||
  4. ^ “華丸・大吉、デビューへ背中を押したのは長渕剛の歌 葛藤する2人に「やるなら今しかねえ」”. sanspo.com (サンケイスポーツ). (2017年10月28日). http://www.sanspo.com/geino/amp/20171028/geo17102815340017-a.html 2017年10月29日閲覧。 
  5. ^ カジサック KAJISAC (2019年5月24日). “【初告白】大吉さんが不遇の時代について初めて語ってくれました”. YouTube. 2019年5月25日閲覧。
  6. ^ a b c 1周回って知らない話』(日本テレビ)2016年10月26日付放送分。
  7. ^ 博多大吉「第10章 経験としての26歳」『年齢学序説』幻冬舎、2010年2月。ISBN 978-4344017825
  8. ^ “博多大吉、17年前の突然の休業の真相明かす”. デイリースポーツ. (2014年5月3日). http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/05/03/0006929130.shtml 2014年5月13日閲覧。 
  9. ^ 2003年に閉館
  10. ^ a b お笑いワイドショー マルコポロリ!』(関西テレビ)2016年6月19日付放送分。
  11. ^ a b 今回の"極上空間" 1月18日(土) 第144回 ゲスト:森口博子×博多華丸”. BS朝日 (2014年1月18日). 2016年12月2日閲覧。
  12. ^ よしもと黄金列伝!』(読売テレビ)2014年5月3日付放送分。
  13. ^ 博多華丸 紳助さんの言葉信じて福岡で下積みも…初対面で全否定「アホちゃうか?」”. スポニチ. スポーツニッポン新聞社 (2019年2月15日). 2019年2月16日閲覧。
  14. ^ a b “博多華丸・大吉が激白…上京直後は苦戦の連続だった”. ZAKZAK (産経デジタル). (2006年8月4日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_08/g2006080418.html 2016年12月16日閲覧。 
  15. ^ a b c 【エンタがビタミン♪】博多華丸・大吉、理想の売れ方だった。「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」が転機。”. TechInsight (2014年2月12日). 2014年12月30日閲覧。
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関連項目編集

外部リンク編集