博多華丸・大吉

博多華丸・大吉(はかたはなまる・だいきち)は、吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本社)に所属する日本の漫才コンビ1990年5月にコンビ結成し、吉本興業福岡事務所(福岡吉本)からデビュー。福岡で活動した後、2005年に上京し、吉本興業東京本社の所属となる。博多弁漫才を全国展開し活躍している。略称は華大(はなだい)。THE MANZAI 2014優勝者。

博多華丸・大吉
メンバー 博多華丸
博多大吉
別名 華大
結成年 1990年
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1991年 -
出身 福岡吉本1期
影響 大木こだま・ひびき
出会い 福岡大学落語研究会
旧コンビ名 華丸・大吉
鶴屋華丸・亀屋大吉
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 漫才ものまね
ネタ作成者 博多大吉
現在の代表番組 ヒルナンデス!
華丸・大吉のなんしようと?
教えてもらう前と後
など
過去の代表番組 爆笑オンエアバトル
とことんサンデー
Hi-Ho!
おもいッきりDON!
おもいっきりPON!
華丸大吉の2020
華大の知りたい!サタデー
など
同期 ナインティナイン
公式サイト プロフィール
受賞歴
THE MANZAI 2014 優勝
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目次

メンバー編集

福岡市早良区出身。ボケ担当。
福岡県古賀市出身(生まれは兵庫県神戸市[1])。ツッコミ、ネタ作り担当。

来歴編集

1989年、ともに福岡大学に進学し、落語研究会に所属したことにより知り合う(後に二人とも大学を中退)。地元のタウン誌に活動が紹介され、それを見た別のプロダクションにコンビ名「ヨッチャン・オカチャン」を付けられ東京でやらないかと誘われたこともある[2]が、怪しいプロダクションだったため、そこには入らなかった。その後、地元で開催されたオーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』(テレビ西日本、1990年4月29日放送)に「岡崎君と吉岡君」の名で漫才コンビとして出場。結果は番組出演8組中2位まで合格のところ4位だったため不合格だったが、それがきっかけとなり、人手が足りないという理由で吉本興業福岡事務所に入るよう声がかかる。当初は躊躇していたが、長渕剛の楽曲『西新宿の親父の歌』で連呼される「やるなら今しかねえ」という歌詞に背中を押され決断、同年5月に1期生となる[3]。初代吉本福岡事務所長の「芸人は本名ではなく芸名で」という方針で、当初「華丸・大吉」としてデビュー、その後、「芸名(平仮名で)7文字が売れる」ので「さらにめでたい名前をつけよう」という意向で、「鶴屋華丸・亀屋大吉」(つるやはなまる・かめやだいきち)と改名する[1]

デビュー翌年から地元テレビ番組『どっちもどっち博多っ子倶楽部』(TVQ九州放送)にレギュラー出演(但し大吉はフロアディレクター)、1993年には『とことんサンデー』(テレビ西日本)の司会となり、福岡県をはじめとする九州・山口地方ではトップクラスの人気を獲得[1]、全国デビューする前の1995年にフジテレビめちゃ²モテたいッ!」』(『めちゃ²イケてるッ!』の前身番組)で「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。当時は司会やリポーターなどの仕事が主で、テレビで漫才を披露する機会はほとんどなかった[4]

1997年、当時人気番組だった二人が司会の『とことんサンデー』で、テレビ西日本が事務所の了承を得ないまま大吉を長期間海外留学させる企画を番組上で発表し、事務所と地元局との間のトラブルになる(この頃、地元局と福岡吉本の2代目所長が仲が悪かったという)。このトラブルの解決まで1年間大吉が自宅待機として休業、番組も突然打ち切られた。この期間に大吉がネタを書き溜め、それ以降ネタづくりは華丸から大吉中心に移行した[5][6]。1年後からは『とことんサンデー』と同じ時間帯に同じコンセプトの番組『Hi-Ho!』として復活。1999年から2003年まで『爆笑オンエアバトル』に出演した(ゴールドバトラー)。

2001年の第1回M-1グランプリでは11位となり決勝進出はならなかった。結成11年だったが吉本興業の社員から「ええねん、ええねん」と言われ出場の要請を受け出場。準決勝まで進み、本放送前の「ナイトinナイト」の生出演が決まる等したが、直前で主催者側から「10年を超えているのはやはり駄目」となり、実質失格の扱いとなった。当時は敗者復活枠が無くこの時点で結成10年を超えていた為、次年度以降は出場出来ず、これが最初で最後の出場となった。

2004年4月、屋号を博多に変更した現在の芸名へ改名する。改名のきっかけは、姓名判断に詳しい福岡事務所の女性パート職員が退職する際「『鶴屋』と『亀屋』は運気的に最低の名前」「『鶴屋』がほぼ0点に近い。『亀屋』は口に出せない(ほど最悪)」と判断され、「ずっと気になっていた。お願いだから改名して欲しい」と頼まれた事である。その女性職員から「いい名前がある」と勧められたのが、現在の『博多』の屋号である。またその女性職員から「屋号を博多に変えて2年以内に二人が東に向かうと運気が上がる」ともアドバイスされる[1]。なお、改名に際し同じ「博多」の屋号であった木村進(三代目博多淡海)にも報告し、改名を快く認めてもらったという。

2005年4月に、華丸曰く、先述の元女性職員のアドバイスに「背中を押していただいた」形で[1]、3年越しの念願であった東京本社へ移籍。東京進出のきっかけとしては、華丸の長女が小学校入学を控えており、就学中の転居を避けたかったこと[7]があったという。また同期の竹山隆範カンニングとして全国区でブレイクした時は、かつての同期である事やネタも標準語主体であったことから祝福できたが、後輩のヒロシが熊本弁を用いたネタで受けていたことなどが、博多弁漫才を売りにしていた彼らに大きなショックを与えたとも語り、福岡で仕事がないため上京したはずのヒロシが凱旋した際、福岡時代には見たことも無いくらいウケていたことから「一回、東京のフィルターを通して東京で売れたという肩書きがあると、こんなに違うもんだと、実感した」と、東京進出を決意させた[8][9]。当時福岡で一緒に番組に出ており、二人の芸や人柄に触れた氷川きよしも、「福岡にいてはもったいない」という表現で東京行きを勧めていた[4]

移籍後はルミネtheよしもとでの舞台などが主な活動の場となっている。また、月に数回は福岡での仕事も出張として行っている。しかし移籍当初、テレビ局や制作会社には新人とみなされたため、東京進出直後はテレビ出演一本あたりのギャランティは福岡時代より断然減っており、出演数をこなすことでそれなりの生活が出来ている状態であった。また、35歳になってから上京し各お笑い番組のオーディションを受けるものの、当時は「どの番組もフレッシュな若手が欲しいらしく、変にこなれた自分たち(華丸・大吉)は、求められていない感があった」ため[10]、「面白いんだけど、それが伝わりづらい」との理由で落とされたり[11]、「10歳以上、(年齢が)下」の審査員から「感想言われる前に痛々しいと言われた」ような悲惨な経験もしている[8]。加えて、福岡時代に「東京に出てきたら」と言ってくれていた人々の態度も一変、「本当に来たの?」「福岡に居ればいいのに」と感じられたという[12]

しかし2005年10月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内のコーナー、「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」の第6回大会に華丸が出場、華丸にとっては「モノマネのレパートリー中(中略)本来4-5番手の戦力」だった[10]アタック25』における児玉清モノマネで優勝し、一躍注目を浴びる。その後、第7回大会も優勝し、優勝賞金100万円を獲得、同コーナーでは唯一の連覇達成者となった。結果として、「伝わりづらい」ことを活かせる同コーナーが彼らの知名度を大きく上げることになった[11]

2006年2月、華丸が『R-1ぐらんぷり』の決勝に進出。「細かすぎて〜」でも一部披露した、児玉清のモノマネを「あいうえお作文」と組み合わせたネタで優勝を果たす。この大会で披露したネタを作ったのは相方の大吉であり、裏方に回って華丸を支えていた。大会前には、華丸は「博多のおじさん」という新ネタで出場しようとしていたが、大吉が児玉清ネタにするよう説得し、大喧嘩になったという[13]

2006年5月19日にはなかやまきんに君からの紹介で『笑っていいとも!』のテレフォンショッキング出演を果たす。

2008年9月4日放送の『アメトーーク』の企画「中学の時イケてないグループに属していた芸人」には大吉が出演、ネガティブなトークが注目されたことで同番組への出演回数が増え、「大吉先生」と称されるキャラクターやトークの巧さが世間に認知されるようになる。大吉自身は、2012年4月から『たまむすび』(TBSラジオ)の水曜レギュラーに抜擢されたこともブレイクの要因と考えている[11]。また『アメトーーク』では、2012年3月8日放送の「小忙しい芸人」にて、営業先での「華丸・大吉あるある」トークが盛り上がり、宮迫博之の「華丸・大吉芸人やりたいな」という提案に出演者や多くの視聴者が賛同した。このことから、2012年5月17日と24日の放送で華丸・大吉と彼らに所縁のある芸人が集結した「華丸・大吉芸人」の企画が実現した。さらに、2012年の年末には「多くの芸人に愛され、視聴者に暖かい笑いを送り続けた」との理由で、二人に同年のアメトーーク大賞が授与された。

2011年、コンテスト形式としては第1回となる『THE MANZAI』に出演。本人達は「若手の大会だから」出ないつもりであったが、西川きよし今いくよ・くるよらから説得され出演を決意した[14]。認定漫才師50組に選抜され、本戦サーキットを13位で通過し決勝大会に進出する。「(大会最高顧問ビートたけしに)“あんちゃん達面白いね”と、その言葉だけ頂けるように頑張ります」と臨み、一回戦で「乾杯の挨拶」のネタを披露したが、福岡吉本の後輩であり自らも評価していたパンクブーブーに大差で敗れる。獲得したのは関根勤からの一票のみだったが、ビートたけしが「華丸・大吉にもっと(票が)入ってもよかったんじゃないか」とコメントし、「泣きそうです」と応えた。

2014年、再び『THE MANZAI』にて認定漫才師に選抜され、本戦サーキットを6位で通過し決勝大会に進出する。一回戦はワイルドカード枠で出場した三拍子の4票に対し6票を獲得して競り勝った。三拍子のネタがかなり受けていたため自身は敗戦を悟っており、勝利決定の瞬間には大吉が思わず「(2本目のネタ合わせをしていないため)まずい」と言ってしまったほどの意外な最終決戦進出であったという[15]。最終決戦では得意ネタである「宴会の抜け出し方」を一回戦のネタも絡めて披露した。このネタを選んだのは客層を考えた上での大吉の独断であったが[7]アキナトレンディエンジェルを相手に10票中9票獲得する快勝で、優勝に輝いた。審査員は、華丸・大吉が力の抜けたゆったりとしたテンポで、分かりやすい漫才を披露したことを評価していた。優勝後のコメントでは、2013年の年末にビートたけしと共演した際、たけしから「なんであんちゃん達(大会に)出ないの?」と背中を押されたことで出場したことを明かした。たけしも「俺は(華丸・大吉の)ファンだから」と述べ、放送後の記者会見では若手芸人と華丸・大吉の違いを流行の食堂と老舗の名店の味に例えて讃えた。大木こだまなどの先輩芸人も、二人の大会出場を後押ししたという[16]。また、大吉は同期である司会のナインティナインに対し「やっと背中が見えてきたよ」とコメントし、最後は「この予選に出ていない方も僕らの先輩たちも、本当に面白い漫才師さんは劇場にいますので、是非皆さん劇場に足を運んでください」と締めくくった。

『THE MANZAI』の優勝者には、優勝賞品として深夜帯の冠番組が贈られるが、当初二人は、キャリアを重ねたコンビとしての優勝であったことや、すでに冠番組『華丸・大吉のなんしようと?』(テレビ西日本)を持っていたことなどから賞品番組の辞退も考えていた[17]。しかし、『THE MANZAI』の他の出場者も含め、若手芸人に全国区の番組に出る機会を与え、彼らに経験を積んで欲しいとの思いもあり、2015年4月から9月まで、若手芸人やパフォーマーを迎えるトーク番組『華丸大吉の2020』のMCを務めた[18]

2016年1月9、10両日には、福岡・キャナルシティ劇場にて「博多華丸・大吉結成25周年ライブ」を開催。岡村隆史ナインティナイン)などコンビにゆかりのある多数の芸人がゲストで登場したほか、タモリ明石家さんま、ビートたけしらがビデオメッセージで祝福、25周年に花を添えた[19]

芸風編集

博多弁を多用した漫才をメインとして演じている。華丸がとぼけた言動を繰り返し大吉がたしなめる展開が主だが、ごく稀に、大吉がネガティブな発言をし華丸が困惑するという二人のボケツッコミを逆転させた展開もある。漫才の中では、華丸が「お酒好きで陽気な博多のおじさん」を演じることが多く、華丸の弟によれば、このキャラクターは土建業を営む華丸の父親そのままであるという[20]。華丸がボケる際にオーバーな表情を見せることも多く、大吉は「華丸・大吉の漫才って、華丸さんのにらめっこなんですよ」と例えている[21]

他人を攻撃するネタは演じない、「穏やかで暖かい笑い」は、ファミリー層に広く支持されている[4]。さらに、大吉が華丸を強く叩くなどといった激しいツッコミも、ほとんど行われない。これは福岡には「博多仁和加(はかたにわか)」という伝統芸能があり、演者のボケた言動を観客が受け入れて拍手を送り、ツッコミのように否定する文化がなかったから、と理由づけている。大吉は漫才での自分の役割を「ツッコミではなく、華丸をなだめている」としており、「いつかは全編ツッコミのない漫才をしたい」と語ったこともある[22]。トークなどのネタ以外の部分においては毒舌を放つこともあり、特に大吉はその傾向が強い。

頻度は低いが、コントも行っている。漫才と同様に華丸が博多のおじさんを演じるネタや、華丸が得意とする児玉清、川平慈英といったモノマネを取り込んだネタなどがある。

テレビでは4分程度のネタを演じることが多いが、大吉によれば、自分たちの本分は舞台で演じる15分程度のネタであるとしている。将来的に舞台中心の活動となることを見据えて、月に1本のペースで新ネタを作成している[22]

エピソード編集

福岡吉本出身の芸人の兄貴分的存在で、多くの後輩から慕われており、飲み会での乾杯の音頭は常に華丸が取る[23]。特にパンクブーブーとは交流が深く、彼らの実力と才能をいち早く見抜いた芸人の一人でもある。確かな実力を有しながらもなかなか売れなかった彼らを不憫に思い、大吉は七夕の短冊に「パンクブーブーに光が当たりますように」と書いたことがある。その年にパンクブーブーはM-1王者に輝いた。 一方、パンクブーブーも、華丸・大吉が東京進出して間もない頃は、二人が早く東京や東京の芸人に馴染めるように色々と売り込んだり、心を砕いたりしていたという。黒瀬は華丸のことを5つしか年が離れていないにもかかわらず「お父さん」と呼んでいる[24]

他の芸人が忙しければ断りそうな細かい仕事や、スケジュール上無理と思われるような仕事も断らず受けてしまうため、自嘲気味に「よしもとの犬芸人」と自称している[23][25]。ただでさえ「東京と博多の滞在が半分ずつくらい」のため、東京と福岡を往復するのに、年間で約250回も飛行機に乗るという状況に加え[26]、仕事で東京→長崎→長野→福岡や、福岡→浅草→下関、新潟→大阪→新潟など、「日本地図をもう一度見直して〜」と思うような移動になることも多々あり[27]、「マイレージは常に20万マイル以上持っている」とのこと[26]

コンビ仲は非常によく、2012年1月19日放送のアメトーークの企画「愛方大好き芸人 第2弾」などで仲良しエピソードが語られている。コンビでカラオケに行く際は必ず二人で修二と彰青春アミーゴを歌う。華丸が修二パートで、大吉が彰パート。

松本人志千原ジュニアに「華丸と大吉の顔と名前が逆。」「大吉の方がシュッとしていて華丸顔」と言われている。

『THE MANZAI 2014』で優勝した際に、総合司会が同期でプライベートも仲の良いナインティナインであり、さらに岡村隆史は2人と同い年なため、優勝を喜んでいた。松本人志は「群を抜いて面白かった。芸歴が長いとか有名とか関係なく、博多華丸・大吉が優勝する以外に(2014年出場者で)上手いコンビがいなかったから当然の結果。ある意味で若手もベテランも良い勉強になった」と語っている。

立川談志からは、東京MXテレビで談志が仕切っていたネタ見せ番組に出演した際、ガチガチに緊張しながらネタを披露した後、「まあ、内容として、こういう優しいネタを選んでて。俺はとっても文化的には好きだなあ。あとで、いいアドバイスしてやるよ」と声をかけられ、さらに収録後の打ち上げで別室に呼ばれ「いいか。よく聞け。これは過去、爆笑問題にしか言っていない。――絶対に、解散するなよ」とアドバイスされたという[28]

出演作品編集

メンバー単独での出演は、博多華丸博多大吉の項を参照。

現在の出演番組編集

テレビ番組編集

レギュラー出演
ゲスト出演

ラジオ出演編集

CM編集

過去の出演番組編集

テレビ番組編集

ラジオ番組編集

CM編集

出囃子編集

以前は「いざゆけ若鷹軍団」を使用していた。

脚注編集

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  1. ^ a b c d e 雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』(テレビ朝日)2012年5月17日付放送分。同番組DVD Vol.24収録
  2. ^ 博多華丸 これぞ 十九の春! - ||| 博多華丸・大吉私信電心 |||
  3. ^ “華丸・大吉、デビューへ背中を押したのは長渕剛の歌 葛藤する2人に「やるなら今しかねえ」”. sanspo.com (サンケイスポーツ). (2017年10月28日). http://www.sanspo.com/geino/amp/20171028/geo17102815340017-a.html 2017年10月29日閲覧。 
  4. ^ a b c 1周回って知らない話』(日本テレビ)2016年10月26日付放送分。
  5. ^ 博多大吉 「第10章 経験としての26歳」『年齢学序説』 幻冬舎、2010年2月ISBN 978-4344017825
  6. ^ “博多大吉、17年前の突然の休業の真相明かす”. デイリースポーツ. (2014年5月3日). http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/05/03/0006929130.shtml 2014年5月13日閲覧。 
  7. ^ a b お笑いワイドショー マルコポロリ!』(関西テレビ)2016年6月19日付放送分。
  8. ^ a b 今回の"極上空間" 1月18日(土) 第144回 ゲスト:森口博子×博多華丸”. BS朝日 極上空間 (2014年1月18日). 2016年12月2日閲覧。
  9. ^ よしもと黄金列伝!』(読売テレビ)2014年5月3日付放送分。
  10. ^ a b “博多華丸・大吉が激白…上京直後は苦戦の連続だった”. ZAKZAK (産経デジタル). (2006年8月4日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_08/g2006080418.html 2016年12月16日閲覧。 
  11. ^ a b c 【エンタがビタミン♪】博多華丸・大吉、理想の売れ方だった。「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」が転機。”. TechInsight (2014年2月12日). 2014年12月30日閲覧。
  12. ^ “【エンタがビタミン♪】華丸・大吉がナインティナインに感謝「神社つくって奉納したい」”. TechInsight. (2015年12月2日). http://japan.techinsight.jp/2015/12/hanadai-25th-nainai-01.html 2016年12月17日閲覧。 
  13. ^ 博多大吉が過去のコンビ大喧嘩を語る「R-1ぐらんぷり決勝のネタをめぐり2時間半くらい言い合い」”. ライブドアニュース (2014年2月18日). 2014年12月30日閲覧。
  14. ^ “博多華丸・大吉、「THE MANZAI」優勝の裏側にあったビートたけしからの言葉”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年10月28日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20171028-OHT1T50069.html 2017年10月29日閲覧。 
  15. ^ 博多大吉、『THE MANZAI』優勝の勝因を語る。「決勝に行けると思っていなかった」”. TechInsight (2014年12月18日). 2014年12月30日閲覧。
  16. ^ 華丸大吉の優勝コメント、キャリア制限のないTHE MANZAIのおかげ。”. お笑いナタリー (2014年12月14日). 2014年12月16日閲覧。
  17. ^ 博多華丸・大吉 THE MANZAIの優勝特典に「もう大丈夫」”. ライブドアニュース (2014年12月16日). 2015年7月6日閲覧。
  18. ^ 博多華丸・大吉 『THE MANZAI』副賞の冠番組に込めた思い”. NEWSポストセブン (2015年4月25日). 2015年7月6日閲覧。
  19. ^ “博多華丸・大吉25周年 渡辺直美、衣装で“悩殺” BIG3も祝福”. ORICON NEWS (oricon ME inc.). (2016年1月12日). http://www.oricon.co.jp/news/2065183/full/ 2017年9月8日閲覧。 
  20. ^ 「兄のボケ、まんま僕らの親父」華丸の弟が語る優勝ネタの秘密”. ライブドアニュース (2015年1月1日). 2015年3月21日閲覧。
  21. ^ トーキョーライブ22時』(テレビ東京)2014年12月21日付放送分。
  22. ^ a b お茶ガシとおハナシ』(フジテレビ)2014年8月16日付放送分。
  23. ^ a b 『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』2012年5月24日付放送分。同番組DVD Vol.24収録
  24. ^ NOと言えない方程式”. 博多華丸・大吉私信電心 (2012年2月16日). 2013年9月18日閲覧。
  25. ^ “よしもと男前芸人”会見詳報、ブサイク1位はノンスタ井上がV2達成。”. ナリナリドットコム (2012年2月27日). 2013年9月18日閲覧。
  26. ^ a b 【エンタがビタミン♪】HKT48・指原莉乃もかなわない! 博多華丸・大吉のマイレージは「地球4周できる」。”. TechInsight (2013年9月13日). 2013年9月18日閲覧。
  27. ^ 奇跡の連絡船”. 博多華丸・大吉私信電心 (2013年5月8日). 2013年9月18日閲覧。
  28. ^ “華丸・大吉 談志さんに言われた「過去、爆笑問題にしか言っていない」言葉とは…”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2016年10月27日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/10/27/kiji/K20161027013613480.html 2017年7月27日閲覧。 
  29. ^ CMギャラリー JAバンク福岡 2015年1月3日閲覧

関連項目編集

外部リンク編集