「1995年のF1世界選手権」の版間の差分

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対するヒルは首位走行中のリタイアなどマシンの信頼性に泣き、レース戦略でも後手を踏んだ場面も多かった。またドライビングミスでレースを失う事も度々あり、チームメイトの[[デビッド・クルサード]]の勢いに押される場面もあった。クルサードは4連続ポールポジションを獲得し、[[ポルトガルグランプリ|ポルトガルGP]]で初優勝したが、つまらないミスを犯すことも度々あった。
 
この年もシューマッハとヒルの因縁は続き、フランスGPではヒルがブレーキテスト(後続車の前で故意にスピードを落とす)をしたとシューマッハが非難。[[1995年イギリスグランプリ|イギリスGP]]では前年最終戦と同様に、インを突くヒルとアウトからかぶせたシューマッハが絡んで両者リタイア。[[ベルギーグランプリ|ベルギーGP]]ではシューマッハが予選16番手から優勝したが、ヒルへのブロックが危険とみなされ執行猶予付きの1戦出場停止処分を受けた。イタリアGPではヒルがシューマッハに追突し、マシンを降りたシューマッハがヒルに抗議。この件ではヒルが執行猶予付きの1戦出場停止処分となった。ヨーロッパGPでは両者レースに影響するダメージは無かったものの、後ろを走るヒルがぬれた路面にスリップしてブレーキングをミスし、前を走るシューマッハに突っ込み軽く追突する場面も有った。
後ろを走るヒルがぬれた路面にスリップしてブレーキングをミスし、前を走るシューマッハに突っ込み軽く追突する場面も有った。
 
[[ジョニー・ハーバート]]はヒルとシューマッハが共倒れとなった2戦を制し、地元イギリスGPで初優勝を達成した。ベネトンのコンストラクターズ初タイトルに貢献したが、シューマッハを優遇するチーム体制に苦しんだみ、チーム批判を行った末にこの年限りで離脱した
 
=== 名門チームの明暗 ===