「ジョン・ミルトン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
m編集の要約なし
1行目:
<div style="float:right; width:270px;padding:8px; margin-left: 1em; text-align:center">[[ファイル:John_Milton.jpg|thumb|ジョン・ミルトン]]
</div>
'''ジョン・ミルトン'''('''John Milton''', [[1608年]][[12月9日]] - [[1674年]]11月8日から11月10日の間)は、[[イングランド王国|イングランド]]([[イギリス]]の[[詩人]]。共和派の運動家であり、[[オリヴァー・クロムウェル]]を支持した。
 
代表作『[[失楽園]]』は[[ダンテ]]『[[神曲]]』や[[アリオスト]]『[[狂えるオルランド]]』と並ぶルネサンス期の長編[[叙事詩]]の名作である。
 
== 生涯 ==
[[1625年]]、[[ケンブリッジ大学]]クライストカレッジに入学。同年[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]が即位。学生仲間の間での評判はあまりよくなかった。[[1629年]]、学士号取得。[[1632年]]修士号取得。

[[1634年]]、戯曲『コマス』''(Comus)'' が上演される。[[1637年]]、『コマス』が出版される。母親死亡。[[1638年]]-[[1639年]]イタリアを周遊。[[1642年]]結婚。[[清教徒革命]]時に教会改革論や言論の自由を論じた『アレオパジティカ』 (''Areopagitica'')を発表 ([[1644年]])。政府のラテン語秘書として[[共和制]]を弁護。[[16481649年]]チャールズ1世が処刑される。[[1652年]]に過労で失明<ref>[http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/134948/1/ebk00010_019.pdf 宮西光雄(1962)ミルトンの失明をめぐる問題]
</ref>。[[イングランド王政復古|王政復古]]後は詩作に没頭。
 
45 ⟶ 47行目:
[[Category:視覚障害を持つ人物]]
[[Category:シティ・オブ・ロンドン出身の人物]]
[[Category:清教徒革命関連人物]]