「固定観念」の版間の差分
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{{独自研究|date=2010年3月}}
{{出典の明記|date=2010年3月}}
'''固定観念'''(こていかんねん)は、'''固着観念'''(こちゃくかんねん)とも
== 概説 ==▼
[[日常生活|日常]]的な[[表現]]で、何かの「[[思い込み]]」を人が持っているとき、これを「固定観念に捕らわれている」と表現することがあるが、厳密には[[言葉]]の[[誤用]]である。例えば、「[[鳥類|鳥]]は飛ぶものである」という考えは、多くの人が持つ思いこみであるが、固定観念ではない。鳥であっても飛ぶことのない例、たとえば、[[ペンギン]]や[[ダチョウ]]を示されると、一般に人は思い込みから脱して、「飛ばない鳥もいる」という考えになる。ペンギンやダチョウの例を出して説明してもなお、色々な理屈を述べたりして、「鳥は飛ぶ」という観念や自己の主張をどうしても変えない場合には、固定観念となっていると云える。▼
人は未知なことや、よく知らないことについて、[[実証]]的な根拠に乏しい「思い込み・[[先入観]]」を持っていることが多い。何らかの理由で思い込みに拘泥し、どのような例を出されても説明を受けても、思い込みを変えない場合には、この思い込みは固定観念になっている。▼
『広辞苑』第3版では、絶えず行動を決定するように支配している観念だが、[[強迫観念]]のように病的なものではない<ref name="三好">{{Cite journal |和書|author=三好保 |date=1994 |title=固定観念の意味するもの |journal=民族衛生 |volume=60 |issue=6 |pages=295-296 |doi=10.3861/jshhe.60.295 |url=https://doi.org/10.3861/jshhe.60.295}}</ref>。1988年の『大辞林』では、他人の意見や、周囲の状況に応じて変化しない、行動を決めているような観念<ref name="三好"/>。
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固定観念と混同され易いものに、[[ステレオタイプ]]な考え・[[観念]]がある。ステレオタイプは元々、判で押したような考え方や類別を意味し、多くの人が同じものを共有している状態を表す。ステレオタイプな考えは、概ねにおいて単純で底が浅く、個性に欠けるのを特徴とし、[[タブロイド思考]]の一種だとも云える。▼
固定観念は人の経験や得てきた知識から形成され、思考の基盤にはなるが自由な発想を制限する<ref name="盲点を発見"/>。まだ考える時ための間の余裕はあるのに、固定観念の枠にはまってしまうと、固定観念の枠の中で堂々巡りし行き詰まり状態になることがある<ref name="盲点を発見"/>。偏った情報が蓄積されることで固定観念が形成されることもある<ref>{{Cite journal |和書|author1=吉永敦征 |author2=畔津忠博 |author3=金恵媛 |date=2016-03-31 |title=ICTを活用した多主体間の長寿文化共有のためのシステム構築 |journal=山口県立大学学術情報 |volume=9 |issue= |pages=57-60 |url=http://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/yp/metadata/1354}}</ref>。
== 似ているよう言葉 ==
既成概念では、社会に広まっている概念、考え方となる。「既成概念や固定観念にとらわれない」のように続けて用いられることもある<ref>{{Cite journal |和書| |date=2015 |title=既成概念・固定観念にとらわれない新しい材料加工の世界を求めて |journal=精密工学会誌 |volume=81 |issue=11 |pages=1013-1014 |doi=10.2493/jjspe.81.1013 |url=https://doi.org/10.2493/jjspe.81.1013}}</ref>。
▲固定観念と混同され易いものに、[[ステレオタイプ]]な考え
▲人は未知なことや
== 固定観念からの脱却 ==
固定観念による堂々巡りを脱して自由に発想するためには、他者と共に考えたり発散的思考法が使われる<ref name="盲点を発見">{{Cite journal |和書|author1=長谷部礼 |author2=西本一志 |date=2015-03-05 |title=思考者の盲点を発見し活用する発散的思考技法 |journal=研究報告グループウェアとネットワークサービス |volume=2015 |issue=8 |pages=1-7 |url=http://id.nii.ac.jp/1001/00115425/}}</ref>。そうした方法として[[ブレインストーミング]]は多用されており、自分になかった視点、自分が気づいていなかった視点に対する気づきを得て、固定観念から脱却することができる<ref name="盲点を発見"/>。
ブレインストーミングをする際にも、誰かが支配的となってしまうことを防ぐために発言数の偏りを調整する調整役が必要で、そうしないと固定観念が参加者全員に拡大されていく危険性がある<ref name="盲点を発見"/>。集団であれ一人であれ固定観念に縛られるものであり、扇風機の改良について意見を集めてから、羽の改良に意見が多かった場合、これが固定観念であり、次回は別の部分の意見を求めるといった方法で、強制的に盲点について考えることができる<ref name="盲点を発見"/>。
「この物質は酸性」だと常識的に思い込んでいるようでは、新規化合物の開発につながらないということもある<ref>{{Cite journal |和書|author=雑村史高 |date=2004 |title=「固定観念から外れる一歩」 |journal=ネットワークポリマー |volume=25 |issue=1 |pages=56-56 |doi=10.11364/networkpolymer1996.25.56 |url=https://doi.org/10.11364/networkpolymer1996.25.56}}</ref>。
== 教育的な固定観念 ==
2014年には日本の政府や文部科学省が、教育のIT化を進めていくことを決定しているが、紙と鉛筆が重要だと教師が固定観念を持っている場合もある<ref>{{Cite journal |和書|author1=中村好則 |author2=NAKAMURAYoshinori |date=2016-03 |title=学習指導要領とその解説及び教科書から見る中学校数学指導におけるICT 活用の方向性 |journal=岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 |issue=15 |pages=69-78 |url=http://id.nii.ac.jp/1399/00014110/}}</ref>。日本では、意思疎通のために英語を使わず、多くの教育者が「英語教育は読んで訳すものだ」という固定観念に縛られており、意思疎通できない英語を教えていると批判され、学習者が英語を楽しく学ぶことができないとも言われる<ref>{{Cite journal |和書|author=上松一 |date=2006 |title=自由の発露としての英語学習 |journal=21世紀教育フォーラム |volume=1 |issue= |pages=17-33 |url=http://hdl.handle.net/10129/4677}}</ref>。教育を「教える」「教わる」の固定観念で考えず、「学ぶ」という主体性のある行動から考え直すこともできる<ref name="manabu">{{Cite journal |和書|author=佐々木英和 |date=2005-04-01 |title=「教える-学ぶ」関係についての理論的考察「教える-教わる」関係から「生きる-学ぶ」関係ヘ |journal=宇都宮大学教育学部教育実践総合センター紀要 |volume=28 |issue= |pages=341-350 |url=https://uuair.lib.utsunomiya-u.ac.jp/dspace/handle/10241/634}}</ref>。教師が教えているふりをし、生徒が学ぶふりをしているだけでは形式的であり、相互の演技となってしまう<ref name="manabu"/>。
== 文化相対的な固定観念 ==
複数の[[文化]]において、それらが相互に異なるとき、特定の文化のなかでは自明的に妥当とされる[[思考|考え]]方や
このような「文化相対的視点での固定観念」は、
=== 過去の社会での信念 ===
しかし、[[現代人]]が勘違いし易いことの例に、[[過去]]の様々な[[社会]]で信じられ、[[真理]]とされてきたことを、現代の[[知識]]水準や視点から眺めて、固定観念と見なすことがある。
例えば、多くの
しかし、これを固定観念と呼ぶのは、固定観念の本来の意味からして間違いである。現代人にしても、地球が球体であるというのは、子供の頃からの[[知識]]や、[[書物]]の記述や、[[テレビ|TV]]他の[[メディア]]の情報や、[[環境]]のなかで提供される知識を元に、ある意味でそのような「定見」を持っているのであり、古代人の大地平面観が固定観念だと
== 政治
▲[[情報]]や[[知識]]を[[国家]]などが作為的に統制し、コントロールして、[[国民]]に誤った知識を与えているようなケースは現代でも存在し、そのような国の[[国民]]は、他に比較吟味する情報がない為、[[政府]]が作為的に押しつけた物事の把握を、そのまま固定観念として保持する例がある。また、政府のコントロール以外にも、[[文化]]や[[宗教]]や[[歴史]]から、多くの人がある事柄を信じ込みたい場合、[[反証]]を示されても容易に考えが変化しない固定観念が構成されている場合がある。
=== 思想教育 ===
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=== 宗教的信念 ===
[[宗教]]的[[信念]]にも固定観念が含まれている場合がある。[[アブラハムの宗教]]([[ユダヤ教]]、[[イスラム教]]、[[キリスト教]]等)の[[教義]]にも、[[ヒンドゥー教]]、[[仏教]]にも、また[[神道]]にも、そういった要素はいくらか含まれていることがある。ただし宗教の目的は、科学の目的とは異なるものであり、人間の[[幸福]]を目的とする体系においては、固定観念は必ずしも悪いばかりではない。つまり良い効果をもたらすことも多い。例えば、実際に人生で理不尽な目に会い、様々なことに確信が持てなくなり、不安感にさいなまれている人にとっては、何らかの安定した観念を持つことが精神衛生上、あるいはその日を生きてゆく上で、極めて大切な役割を果たすことがある、ということは十分に考慮する必要がある{{誰|date=2010年3月}}。
==
<references/>
== 関連項目 ==
* [[偏見]]
* [[差別]]
* [[確証バイアス]]
* [[レッテル]]
{{DEFAULTSORT:こていかんねん}}
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