「博多華丸・大吉」の版間の差分

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=== 東京進出 ===
2005年4月に、3年越しの念願であった東京本社へ移籍。東京進出のきっかけとしては、華丸曰く、先述の元女性職員のアドバイスに「背中を押していただいた」ことや<ref name=ametalk120517/>、華丸の長女が小学校入学を控えており、就学中の転居を避けたかったこと<ref name="maruko161026">『[[お笑いワイドショー マルコポロリ!]]』([[関西テレビ放送|関西テレビ]])2016年6月19日付放送分。</ref>があったという。また同期の[[カンニング竹山|竹山隆範]]が[[カンニング (お笑いコンビ)|カンニング]]として全国区でブレイクした時は、かつての同期である事やネタも標準語主体であったことから祝福できたが、後輩の[[ヒロシ]]が熊本弁を用いたネタで受けていたことは、博多弁漫才を売りにしていた彼らに大きなショックを与えたとも語っている。福岡で仕事がないため上京したはずのヒロシが凱旋した際、福岡時代には見たことも無いくらい受けていたことから「一回、東京のフィルターを通して東京で売れたという肩書きがあると、こんなに違うもんだと、実感した」と、東京進出を決意させた<ref name=Gokujo140118>{{Cite web|date=2014-01-18|url=http://archives.bs-asahi.co.jp/gokujou/prg_144.html|title=今回の"極上空間" 1月18日(土) 第144回 ゲスト:森口博子×博多華丸|publisher=[[ビーエス朝日|BS朝日]]|accessdate=2016-12-02}}</ref><ref name=yoshimotoohgon120517>『[[よしもと黄金列伝!]]』(読売テレビ)2014年5月3日付放送分。</ref>。さらに、BS放送開局記念番組に出演した[[島田紳助]]が「東京の時代は終わった。これからは1回宇宙へ飛ばしてそこから配信していく時代だから、東京に限らず地方どこにおっても出てくるやつは出てくる」と発言したのを耳にした華丸が、「ずっと信じて」福岡で活動していたものの、13年目に紳助と初めて話す機会があり、「『何で君ら福岡でやってんねん』って聞かれて、よくぞ聞いてくれました!ですよ。(紳助さんの言葉を信じてやってきたと)やっと言えると思って、言おうと思った瞬間に『アホちゃうか?東京やで。何してんねん』って言われた」ことも決断を後押ししたという<ref>{{Cite web|date=2019-02-15|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/02/15/kiji/20190215s00041000223000c.html?amp=1|title=博多華丸 紳助さんの言葉信じて福岡で下積みも…初対面で全否定「アホちゃうか?」|work=スポニチ|publisher=スポーツニッポン新聞社|accessdate=2019-02-16}}</ref>。当時福岡で一緒に番組に出ており、二人の芸や人柄に触れた[[氷川きよし]]も、「福岡にいてはもったいない」という表現で東京行きを勧めていた<ref name="1shu161026" />。
 
移籍後は[[ルミネtheよしもと]]での舞台などが主な活動の場となっている。また、月に数回は福岡での仕事も出張として行っている。しかし移籍当初、テレビ局や制作会社には新人とみなされたため、東京進出直後はテレビ出演一本あたりのギャランティは福岡時代より断然減っており、出演数をこなすことでそれなりの生活が出来ている状態であった。また、35歳になってから上京し各お笑い番組のオーディションを受けるものの、当時は「どの番組もフレッシュな若手が欲しいらしく、変にこなれた自分たち(華丸・大吉)は、求められていない感があった」ため<ref name=Zakzak060804>{{Cite news|date=2006-08-04|url=http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_08/g2006080418.html|title=博多華丸・大吉が激白…上京直後は苦戦の連続だった|newspaper=ZAKZAK|publisher=産経デジタル|accessdate=2016-12-16}}</ref>、「面白いんだけど、それが伝わりづらい」との理由で落とされたり<ref name=techinsight20140212>{{cite web|date=2014-02-12|url=http://japan.techinsight.jp/2014/02/hanamarudaikichi_140210.html|title=【エンタがビタミン♪】博多華丸・大吉、理想の売れ方だった。「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」が転機。|publisher=TechInsight|accessdate=2014-12-30}}</ref>、「10歳以上、(年齢が)下」の審査員から「感想言われる前に痛々しいと言われた」ような悲惨な経験もしている<ref name=Gokujo140118/>。加えて、福岡時代に「東京に出てきたら」と言ってくれていた人々の態度も一変、「本当に来たの?」「福岡に居ればいいのに」と感じられたという<ref name="techinsight151202">{{Cite news|title=【エンタがビタミン♪】華丸・大吉がナインティナインに感謝「神社つくって奉納したい」|newspaper=TechInsight|date=2015-12-02|url=http://japan.techinsight.jp/2015/12/hanadai-25th-nainai-01.html|accessdate=2016-12-17}}</ref>。