「桃花台新交通桃花台線」の版間の差分
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{{Infobox rail line
| box_width = 300px;
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{{右|
[[ファイル:Peachliner2.jpg|thumb|200px|none|[[桃花台東駅]]の[[ループ線]]を行く100系<!--電車-->。営業運転用の運転台が編成の片側にしかないため、折り返しはループ線を使って行なわれた]]
[[ファイル:Peachliner100 inside.jpg|thumb|200px|none|[[桃花台東駅]]に停車中の100系<!--電車-->車内。片側のみの扉、2-1配列のクロスシートなどが特徴]]
}}
'''桃花台線'''(とうかだいせん)は、かつて[[愛知県]][[小牧市]]のほぼ中央部にある[[小牧駅]]から同市東部にある[[桃花台ニュータウン]]の[[桃花台東駅]]までを結んでいた、[[桃花台新交通]]<!--[[2006年]][[11月17日]][[解散]]-->が運営していた[[自動案内軌条式旅客輸送システム|AGT]]路線である。愛称は、一般公募から選出された「'''ピーチライナー'''」。[[1991年]][[3月25日]]に開業したが、わずか15年半後の[[2006年]][[10月1日]]に[[廃線|廃止]]となった。
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桃花台新交通桃花台線の収入実績を下表に記す。
表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
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== 歴史 ==
* [[1971年]]([[昭和]]46年)[[3月15日]] - [[愛知県]]は「中京圏陸上交通整備調査会議」を設置。[[中京圏]]の[[鉄道]]網計画を審議、その中で「[[小牧駅]] - [[高蔵寺駅]]間を結ぶ中量ガイドウェイシステムによる公共輸送路線」を検討。
** [[5月]] - [[桃花台ニュータウン]]の[[都市計画]]が策定。計画人口5万4000人。
* [[1972年]](昭和47年)[[4月27日]] - 桃花台ニュータウン都市計画事業認可。
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* [[1987年]](昭和62年)5月 - 線路および工事方法書記載事項変更の認可申請(システムの有人化など)。
* [[1988年]](昭和63年)3月 - 線路および工事方法書記載事項変更の認可。
* [[1989年]]([[平成]]元年)8月 - 車両デザインと愛称公募。
* [[1991年]](平成3年)1月 - 運賃認可申請。
** 2月 - 運賃認可。
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* [[2008年]]1月 - 駅舎および高架橋部分の電気通信設備等の撤去工事開始。
** [[1月25日]] - 個人へ先頭車両1台を売却。
* [[2009年]][[3月30日]] - 第3回桃花台線インフラ利活用懇談会が開催され、高架を小型車用道路とし、国道155号(小牧一宮[[バイパス道路|バイパス]])にバス専用レーンを設ける提言を県に提出。
* [[2015年]]10月 - 愛知県は全線撤去に方針転換。手始めに[[中央自動車道]]上に架かる高架の撤去工事を開始。
* [[2016年]][[9月11日]] - 中央自動車道上に架かる高架の撤去完了。
== 駅一覧 ==
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またこの会で愛知県側から出された存続のための提案は、次のようなものだった。
* 現行運賃を2.5倍にする。かつ、年間約2億5千万円の税金投入。
* 桃花台ニュータウンに住む全世帯に対して、年間数万円の負担を求める。
そして、次のような試算も示された。
* [[2006年]][[9月]]には、運営資金が底をつく状態である。▼
▲* 2006年[[9月]]には、運営資金が底をつく状態である。
* 利用者が今後増えることは期待できず、逆に減る恐れがある。
* 車両などの老朽化に伴う設備投資や、橋脚・走行路面などの改修費用<!--おそらく現行のシステムをそのまま更新した場合-->として、約70億円が必要。
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しかしこのような動きとは対極的に、沿線住民の手による存続運動や利用促進活動はまったく行なわれなかった。さらに新聞には[[桃花台新交通]][[常務取締役]]の談話として「(住民からの)廃止に関する問い合わせや励ましの[[電話]]も一本もなかった」と言う発言が掲載されている。
なお2004年7月に存廃を議論する検討会が立ち上げられた時も、2005年末に一部報道機関によって「廃止決定」と報じられた時も、沿線住民の手による存続運動や利用促進活動は行なわれていない。
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森川教授は愛知県を批判するとともに、「黒字計画を出さないと建設に許可が出ないシステムにも問題がある」と指摘している。森川教授の批判に対し、愛知県は「調査はきちんと行なわれた」と主張している<ref>※参照資料1:[http://www.city.komaki.aichi.jp/ 小牧市役所]>[http://www.city.komaki.aichi.jp/gaiyou/sosiki/kikaku/kikakuseisaku/teigen.pdf 桃花台線にあり方に関する提言(PDF)]<br />※参照資料2:「桃花台線建設誌」(愛知県編集)の第6節「システムの段階的整備と工事方法書記載事項の変更」内の項目「2.需要予測」(99ページ)</ref>。
需要予測に関しては、愛知県が発行した書籍「桃花台線建設誌」と、愛知県と小牧市と[[桃花台新交通]]が作成し2006年1月に行なわれた住民説明会で配布された資料「桃花台線への新システム導入に関する検討状況」では、数字が大きく異なる。前者では最終的に1日2万人とされているが、後者では1日1万2千人となっている。
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==== 1日あたりの利用者数とニュータウン人口の推移 ====
{{観点|section=1|date=2008年6月3日}}
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<div class="NavHead">利用者数の実績と予測</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
なお、下記の表は、桃花台線の1日あたりの利用者数の実績と特許取得時・運賃認可申請時の予測利用者数と、[[桃花台ニュータウン]]の人口の推移がまとめられたものである。
; 注意事項:
なお、特許取得が行なわれたのは[[1979年]]6月、運賃認可申請が行なわれたのは1991年1月である。また特許取得時に想定された開業年は[[1983年]]であり、その前年の[[1978年]]12月時点でのニュータウンの計画人口は、4万7千人である。この時点での桃花台線の1日あたりの想定利用者数は、「桃花台線建設誌」によれば最大2万3000人。そして運賃認可申請から約5年前の1983年10月に行なわれたニュータウンの都市計画変更では、計画人口が4万。この時点での桃花台線の1日あたりの想定利用者数は、「桃花台線建設誌」によれば最大2万人、[[愛知県]]が[[2006年]]1月に配布した資料によれば最大1万3千人。2006年1月時点での予想最大人口は3万人未満とされている。
; ※ 参考資料:
{| class="wikitable" border="1" cellspacing="0" cellpadding="2" style="font-size:90%; text-align:center; width:100%;"
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== その他 ==
=== 小牧市長選挙 ===
廃止後の[[2007年]]2月、小牧[[市長]][[選挙]]が行なわれた。立候補したのは現職の[[中野直輝]](当時3期目)と元・愛知県尾張建設事務所長の荒川孝。そのうち荒川孝は「桃花台線の廃止は市民の支持が得られていない」とし、"桃花台線の復活の検討"を選挙公約に掲げたが、市民からの支持は得られず落選した。
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; ピーチボーイ
: [[アルファベット]]の「P」が描かれている[[オーバーオール]]を着た、少年風のキャラクター。
; "ぴーちちゃん"と"すももちゃん"
: それぞれアルファベットの「P」と「S」が描かれている[[洋服]]を着た、少女風のキャラクター。[[紐]]のようなものを持ち、"[[電車ごっこ]]"をしている。
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== 外部リンク ==
* [http://www.komaki-aic.ed.jp/shinooka-e/shinos/study/peachliner/index.htm ピーチライナーに乗ろう] - 小牧市学校視聴覚教育研究会による地域教育を目的としたピーチライナーの紹介ページ
{{日本の新交通システム}}
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