「大ヨークシャー種」の版間の差分

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m 飼料効率は専門用語なので、赤リンクなっても内部リンクが必要だと思います。
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===家畜として===
[[File:Sow and five piglets.jpg|thumb|大ヨークシャー種の母は子育て能力が高い。]]
性質は穏やかで従順である<ref name="サイボク_大"/>。[[飼料効率]]{{refnest|group="注"|ここで言う飼料効率とは、与えた飼料の量に対して、どれだけブタの体重が増加したかを意味する指標である。}}も優れている<ref name="改良-341"/>。
 
多産で<ref name="改良-341"/>、発育が早い<ref name="日本の-99"/><ref name="日本養豚協会_豆大"/><ref name="JLIA_MW"/>。そして母ブタは足腰が強く<ref name="サイボク_大"/>、よく子育てをする<ref name="改良-341"/><ref name="サイボク_大"/>。そのため、交雑繁殖をする際の母系に適している<ref name="改良-341"/>。
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===普及===
 
大ヨークシャー(ラージ・ホワイト)種とヨークシャー(ミドル・ホワイト)種を比較すると、ヨークシャー種のほうが早熟で飼育が容易である。このため小規模農家が養豚の主力だったイギリスでは{{refnest|group="注"|イギリスでは、もともとブタは農家や中流以下の家庭で1頭飼いをするのが一般的だった。農家は近隣の森にブタを放って自力でエサを探させ、家庭では生ゴミをエサにしていた。いずれにしても飼育には費用がかからなかった。夏に仔豚を買い、年末まで残飯を与えて育て肉にすると、高価な部分を売るとブタの購入代金を差し引いても利益が得られ、残った部分は一軒の家庭が冬の間ブタ肉を食べるのに分な量が得られた。そして中流以下の階層にとってブタのラードは重要な栄養源だった<ref name="歴史-48"/><ref name="歴史-52"/>。これに比べると、大地主である貴族階級は、使役用や牛乳目当てにウシを飼養し、使い物にならなくなったウシを屠殺して肉にしていた<ref name="歴史-60"/>。}}、ヨークシャー種(ミドル・ホワイト)が普及した<ref name="改良-340"/>。
 
しかし、経営を拡大して効率を追求し、事業者が競争する時代になると、飼育技術の向上もあって、大型種の大ヨークシャー(ラージ・ホワイト)のほうが経営効率がよく、しだいに養豚の主力になっていった<ref name="改良-340"/><ref name="改良-319"/>。また、大ヨークシャー種はイギリス国外で注目を集め、さまざまな国へ輸出され、とくにヨーロッパ諸国や北米で純粋種として育成されたり、在来種の改良にあてられた<ref name="改良-341"/><ref name="改良-343"/>。20世紀前半には、世界のあちこちで最も飼育される品種となった<ref name="日本の-99"/><ref name="改良-341"/>。
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===日本での歴史===
[[File:Pig 8907.JPG|thumb|悪環境下での大ヨークシャー種]]
明治時代になると、日本へはさまざまな家畜の西洋品種が国内に導入された。早くに入ったのはイギリス原産のサフォーク種やバークシャー種、アメリカ原産のチェスターホワイト種である<ref name="日本養豚協会_歴史2"/>。しかし当時の日本国内では、アメリカのように家畜用飼料の穀物生産は分ではなく、もっぱら都市部で排出される食品廃棄物に依存してブタを飼養するようなった。1900年(明治36年)には国策としての導入種は中ヨークシャー種(ミドルホワイト)とバークシャー種に選定された<ref name="改良-355"/>。だが大正時代までに、鹿児島県や埼玉県の一部地域でバークシャー種が人気になったのを例外として、ほとんどの都道府県では中ヨークシャー種が養豚の中心になった<ref name="改良-355"/><ref name="日本養豚協会_歴史2"/>。当時は、ブタ肉の多くは加工品となっており、精肉として流通するものは多くはなかった<ref name="日本養豚協会_歴史2"/>。
 
大ヨークシャー種(ラージホワイト)は明治39年(1906年)以降、何回かイギリスから導入が試みられた。しかし小規模農家には飼育が難しく、定着しなかった<ref name="改良-341"/>。第2次世界大戦の終結から10年ほど経つと、日本国内の食糧事情が改善され、大型種を導入する余力がうまれてランドレース種や大ヨークシャー種の本格的な導入がはじまった<ref name="日本養豚協会_歴史2"/>。
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大ヨークシャー種は、1960年代以降に日本国内でも普及するようになった<ref name="改良-341"/>。1966(昭和41年)には日本国内での大ヨークシャー種の血統登録制度がスタートした<ref name="JPPA_種豚"/>。翌年には種ブタの審査基準が定められ、2年後の1969年(昭和44年)からは産肉能力の登録も行われるようになった<ref name="JPPA_種豚"/>。
 
1977年(昭和52年)から1985年(昭和60年)には、毎年5,0005000頭から6,0006000頭の大ヨークシャー種が新たに種ブタとして登録された<ref name="JPPA_種豚"/>。1999年(平成11年)の統計では、日本国内で新規登録された種ブタ総数9,5449544頭のうち、2,8792879頭(約30パーセント)が大ヨークシャー種で、ランドレース種(40パーセント)に次ぐ2番手の数となっている<ref name="JPPA_種豚"/>{{refnest|group="注"|昭和20年代には、日本国内で登録される種ブタの頭数は年間10,0001万頭を下回っていて、そのうち9割以上は[[ヨークシャー種]]、残りがバークシャー種だった。昭和30年代になると、毎年の種ブタの新規登録総数は数万頭に増え、昭和36年(1961年)にランドレース種が導入されるとすぐにシェアを伸ばし、昭和46年(1971年)には国内の新規登録種ブタの77パーセントがランドレース種となった。これに比べると、同時期のヨークシャー種の種ブタ新規登録数は1.7%にまで減っている。ランドレース種より5年遅れて導入された大ヨークシャー種は、昭和53年(1978年)には種ブタの年間新規登録6148頭とピークを迎えた。これは同年の総新規登録数の約13パーセントにあたる(同年のヨークシャー種は0.02パーセント。)<ref name="JPPA_種豚"/>。新規登録の総頭数は昭和30年代をピークに減少傾向にあるが、これは交雑種が普及したことによるとみられる<ref name="JPPA_種豚"/>。}}。
 
近年は、純粋種の生産よりも、「三元交雑」([[三元豚]])と呼ばれる繁殖方法が主流となっている。これは、純粋3品種の交雑によって肉用豚を生産する手法である。日本では、ランドレース種と大ヨークシャー種の交雑によって得られた雌ブタを母ブタとし、これにデュロック種の雄を交配して生まれたブタを肉用に肥育するのがもっとも一般的である<ref name="JPPA_種豚"/><ref name="日本の-98"/>{{refnest|group="注"|母ブタが、ランドレース種(L)の雌と大ヨークシャー種(W)の雄の交雑によって生まれた場合には「LW」といい、大ヨークシャー種(W)の雌とランドレース種(L)の雄の交雑によって生まれた場合には「WL」という。これにデュロック種の雄を交配して誕生したものを「WL・D」または「LW・D」と表記する<ref name="JPPA_種豚"/>。日本で食肉として最も普及しているのがLWD型の三元豚である<ref name="日本の-98"/>。}}。