「ノイマン型」の版間の差分

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'''ノイマン型'''(-ノイマンがた、{{lang-en-short|von Neumann architecture)architecture}})は、[[コンピュータ]]の基本的な構成法のひとつである。今日では基本的な[[コンピュータ・アーキテクチャ]]のひとつとされるが、そもそも[[コンピュータ]]の要件とされることもあり、このあたりの定義は循環的である。<!--[[コンピュータ]]の基本構造であり、論理的には[[チューリングマシン]]をRAM(ランダムアクセスマシン)にして、更に実用性のために工学的な入出力装置を付加した構造になっている。-->
 
[[プログラム内蔵方式]]の[[ディジタル]]コンピュータで、[[CPU]](中心となる[[プロセッサ]]、今日では一つの部品としてまとめて考えることが多いが、オリジナルの報告書では[[制御装置]]と[[演算装置]]に分けている)と[[メモリアドレス|アドレス付け]]された[[記憶装置]]とそれらをつなぐ[[バス (コンピュータ)|バス]]を要素に構成され、[[命令 (コンピュータ)|命令]]([[プログラム (コンピュータ)|プログラム]])と[[データ]]を区別せず記憶装置に記憶する。
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オリジナルの報告書では、[[入出力]]について特別に扱っているが、今日の視点からでは[[メモリマップドI/O]]を考えれば特に必要ない。また、バスは、報告書では明示的に数え上げてはいないが(言及はある)、今日では[[フォン・ノイマン・ボトルネック]]のように明確に認識される存在である。
 
ノイマン型の名は、最初にこれを広めた[[EDVAC]]に関する報告書 [[w:{仮リンク|EDVACに関する報告書の第一草稿|en|First Draft of a Report on the EDVAC]](1945)}}(1945年)の著者が[[ジョン・フォン・ノイマン]](ひとり単著)になっていることに由来する。誰がなんのためにそうしたかについては諸説ある。このアイディア着想、特にプログラム内蔵方式のアイディア着想は、[[ジョン・モークリー]]と[[ジョン・エッカート]]による[[ENIAC]]のプロジェクト中の検討にその芽があった。ノイマンは(理論的な、とされる)助言役として加わり、執筆者はノイマンであった。誰にどのような功績があったかは諸説ある。
 
この方式について、以後のコンピュータ研究開発に大きな影響を与えた1946年夏のムーアスクールで講義したのは、ノイマンではなくモークリーとエッカートであったし<ref>ウィルクスのチューリング賞授賞講演から引用:「以後の開発は,1946年にエッカートとモークリの講義した方式が正しかったことを(略)」。[[西村恕彦]]訳 モーリス V. ウィルクス「電子計算機の過去と現在」(赤攝也ほか『ACMチューリング賞講演集』 p. 234 )より</ref>、ノイマン型という用語は不当だとして、使わない者もいる<ref>パタヘネ第3版別冊 歴史展望 p. 10</ref>。一方で、EDSACの設計・建造者である[[モーリス・ウィルクス]]は、ENIACが[[軍事機密]]の下にあった時に、ノイマンの草稿がその保護に入らず、多くの人がノイマンを発明者だとみなしたことは不公平な結果だったとし、ノイマンの参加以前に本質的な先進があった<ref>『ウィルクス自伝』 p. 141</ref>、としながらも、数値データと命令を同じ記憶装置の中に置くのは不自然である、とか、そのために必要な[[遅延記憶装置]]は信頼性に欠ける、といった、新規技術への疑念<ref>『ウィルクス自伝』では、そういった主張をした人物として[[ハワード・エイケン]]を挙げている。</ref>に対し、物理学者として、また数学者([[計算理論]])として、ノイマンが計算機の潜在能力を見抜き、信望と影響力を行使したことは重要だった<ref>『ACMチューリング賞講演集』 p. 234</ref>、とも述べている。
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{{CPU technologies}}
{{デフォルトソート:のいまんかた}}
[[Category:コンピュータの仕組み|のいまんかた]]
[[Category:コンピュータアーキテクチャ|のいまんかた]]
[[Category:数学に関する記事|のいまんかた]]
[[Category:エポニム]]
{{Computer-stub}}