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m →‎将棋界における師弟関係: 師弟戦を組まない場面もある
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=== 落語界における師弟関係 ===
{{出典の明記|section=1|date=2009年7月1日 (水) 11:08 (UTC)}}
落語界では師匠は弟子について一切の生殺与奪権を持っている。というよりも弟子は師匠の所有物である。そのため、弟子が[[真打]]になる前に[[師匠]]を欠いた場合(師匠が死亡した場合、師匠自身が[[破門]]された場合、師匠が協会から離脱した場合など)には、新たな師匠(大抵は兄弟子だが、一門外の落語家のもとに移籍する場合もある)のもとに移籍するが、それでも見つからない場合は廃業となる<ref>{{Efn2|例外として、落語三遊協会を率いていた[[三遊亭圓生 (6代目)|6代目三遊亭圓生]]が死去した際、[[落語協会]]に復帰した圓生門下のうち、[[前座]]・[[二つ目]]の身分だったものは、すべて師匠のいない協会預かりの身分とされた。[[落語協会分裂騒動#騒動の収束]]、[[三遊亭圓龍]]などを参照。</ref>}}。また、師匠の一存で、いつでも弟子を破門することができる。その場合、その瞬間から弟子は落語界から追放され、落語家でなくなるばかりでなく、芸能界全体から追放され、芸能人でもなくなる。放送などのスケジュールがどんなに埋まっていてもすべてキャンセルしなければならない。また、所属事務所は追放された弟子との専属マネジメント契約を即時に解除する(そのような例は過去に複数ある)。
 
師弟の人間関係は(特に弟子が[[前座]]時代は)極めて濃密なものとなる。この関係を精神的[[ホモセクシュアル]]と評したのは、小説家で落語家の[[立川談四楼]]である。前座時代の弟子は、寄席で下働きを行うほかに、そのスケジュールが組まれていても組まれていなくても、毎日、朝早く師匠の家に行き掃除など家事全般を行わなくてはならない。家事も落語修行とみなされる。
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将棋界では、[[将棋棋士|棋士]]の養成機関である[[新進棋士奨励会]]に入会する際、四段以上の棋士が師匠となることを必要とする。以前は師匠の家に住み込んで雑用をこなしながら修行する内弟子制度が存在したが、[[中原誠]]・[[米長邦雄]]らの世代を最後にその習慣は廃れている。
 
一旦四段になれば将棋界では、同門はおろか師弟でも対戦し<ref>{{Efn2|ただし、[https://www.shogi.or.jp/faq/taikyoku-kitei.html 対局規定]によれば、一次予選1回戦や[[順位戦]]B級2組以下、総当たりのリーグ戦の最終局では師弟戦を組まないこととなっている。</ref>}}、師匠が稽古場所を提供するわけでも技術指導をするわけでもない<ref>{{Efn2|トーナメントよりもレッスンに重点をおいている棋士や退役棋士が師匠となった場合、師匠には新四段ほどの実力がない場合も珍しくない。また、トップを狙える才能のある弟子にとっては、たとえ現役でもレッスン重点の師匠の将棋に魅力が感じられないこともあり、米長邦雄と[[内藤國雄]]に「奨励会時代、師匠に自分の将棋を参考にするよう言われたが断った」という逸話がある(両者とも師匠と険悪なわけではなかった)。</ref><ref>}}{{Efn2|[[花村元司]]は弟子との練習対局を積極的に行ったが、このような師匠は稀である。</ref>}}ため師弟関係は落語や相撲ほど強いものではないが、それでもやはり棋士には師匠がいなくてはならないことになっている。[[加藤一二三]]が[[名人 (将棋)|名人]]にもなり功成り名遂げた後に「わけあって今の師匠([[南口繁一]])の門下でいたくない」と言いだしたときにも、別の棋士([[剱持松二]])を新たな師匠に選ぶ形としている。剱持は四段になったのが加藤より遅いのだが、「師匠不在」に比べれば「後輩の弟子」のほうがより許容範囲内とみなされたようである。
 
[[順位戦]]では、A級・B級1組では師弟戦は中盤で組む慣例となっている。
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== 脚注 ==
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<references />
=== 注釈 ===
 
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=== 出典 ===
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