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{{中華圏の人物
| 名前=蔡元培
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| 英語名=
}}
 
[[Image:Caiyuanpei_statue.jpg|250px|right|thumb|北京大学校内の蔡元培像]]
'''蔡 元培'''(さい げんばい)は、[[清|清末]][[中華民国|民初]]の政治家、教育家。[[字]]は'''鶴卿'''又は'''仲申'''、'''民友'''、'''孑民'''。
 
[[中華民国]]初代教育総長を務め、[[1916年]]から[[1927年]]までは[[北京大学]]学長<ref>[[1923年]]以降は北京大学を離れており名目的な学長</ref>として北大改革を行い、学術と自由の校風を確立した。[[北伐 (中国国民党)|北伐]]時期、国民政府が[[南京市|南京]]に遷都した後に教育行政委員会を主催し、[[中華民国大学院]]及び[[中央研究院]]([[国立アカデミー]])の設立準備作業に活躍、教育及び学術制度の改革を唱えた。[[1928年]]から[[1940年]]までは中央研究院院長に就任している。
 
蔡元培は冷静な中国社会の分析と、2度の[[ヨーロッパ]]留学で[[ルネサンス|ルネッサンス]]の科学精神と[[フランス革命]]の思想を体得し、民権と女性の権利を提唱、自由主義を掲げ既存の儒教教育に基づく官僚登用制度の弊害を訴え、科学主義と公民道徳教育の充実による教育改革を要求した。