「関東大震災」の版間の差分
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== 被害 ==
190万人が被災、10万5
[[File:Desolation of Nihonbashi and Kanda after Kanto Earthquake.jpg|thumb|left|700px|京橋の[[相互館110タワー|第一相互ビルヂング]]屋上より見た日本橋および神田方面の惨状]]
{|class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:right; white-space:nowrap; line-height:1.25em; margin-right:0px"
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*非焼失の全潰・半潰は焼失および流出、埋没の被害を受けていない棟数。
*津波:静岡県熱海市 6m。千葉県相浜(現在の館山市) 9.3m。洲崎 8m、神奈川県三浦 6m。鎌倉市由比ケ浜で300人
この震災の記録映像として、記録映画カメラマン白井茂による『関東大震大火実況』が残されており、[[東京国立近代美術館フィルムセンター]]が所蔵している。その一部は同センターの展示室の常設展で見ることができる。また横浜シネマ商会(現:[[ヨコシネ ディー アイ エー]])の手による『横浜大震火災惨状』が、同社および[[横浜市中央図書館]]に所蔵されている。これ以外にも数本記録映画が存在しているが、オリジナルといえる作品は少ない<ref>[http://committees.jsce.or.jp/avc/system/files/jsce2014cs_avc_sakamoto_final.pdf 関東大震災記録映像「横浜大震火災惨状」について] - 土木学会</ref>。
=== 人的被害 ===
[[File:Tokyo Station police box The Great Kanto Earthquake of 1923.jpg|right|thumb|220px|震災直後、尋ね人のビラが貼られた[[東京駅]]警備巡査派出所(1968年解体、1972年[[博物館明治村]]に移築)]]
2004年(平成16年)
地震の揺れによる建物倒壊などの圧死があるものの、強風を伴った火災による死傷者が多くを占めた。[[津波]]の発生による被害は太平洋沿岸の相模湾沿岸部と[[房総半島]]沿岸部で発生し、高さ10m以上の津波が記録された。山崩れや崖崩れ、それに伴う[[土石流]]による家屋の流失・埋没の被害は神奈川県の山間部から西部下流域にかけて発生した。特に神奈川県足柄下郡[[片浦村]]では[[#鉄道事故|鉄道事故]]で100人以上の死者、また土石流で数
====関東大震災により死去した著名人====
*[[寛子女王|寛子女王(閑院宮載仁親王第四王女)]]- [[小田原市|小田原]]・[[閑院宮]]御別邸へ避暑のところ、別邸が倒壊<!-- 宮号が付くのは当主である宮さま本人のみ -->。
*[[師正王|師正王(東久邇宮稔彦王第二王子)]]- 避暑先の[[藤沢市|藤沢]]にある別荘が倒壊。
*[[武彦王妃佐紀子女王|佐紀子女王(山階宮武彦王妃)]]- [[鎌倉市|鎌倉]]の山階宮別邸が倒壊。
*[[松岡康毅]]([[枢密院 (日本)|枢密顧問官]]・[[日本大学]]総長)- [[葉山町|葉山]]の別邸が倒壊。
*[[園田孝吉]](実業家・[[男爵]])
*[[磯部四郎]](政治家・法学者・弁護士)- 避難先の被服廠跡で焼死。
*[[厨川白村]](英文学者・評論家)- 鎌倉で津波に巻き込まれ、翌2日に死去。
*[[辻村伊助]](園芸家・登山家)- 小田原の自宅裏のがけ崩れに巻き込まれ、妻子と
*[[富田木歩]](俳人)- [[向島 (墨田区)|向島]]の自宅で被災し、避難の途中で退路を断たれ焼死。
*[[麗々亭柳橋 (5代目)|五代目麗々亭柳橋]](落語家)
*[[ウィリアム・ヘーグ (外交官)|ウィリアム・ヘーグ]]([[イギリス]]外交官・草創期の[[サッカー]]振興に関与)- 勤務先の横浜の領事館が倒壊。
*[[ジェニー・カイパー]]([[フェリス女学院中学校・高等学校|フェリス和英女学校]]校長)
*[[伊東荘次郎]]([[新派]]の俳優、元[[落語家]]の[[古今亭志ん橋]])- 諸説あり。
*[[村岡斎]](日本の印刷業者・上記の村岡敬三の実弟)- 横浜工場の社屋が倒壊し、社員約70名
*[[當り矢信太郎]](元[[力士]]) - 死没地は不明。<!--また最期の様子も明らかにされていない--><!--諄々自明(そもそも死没地が不明ならば当然最期の様子も分かるはずがありません)-->
*[[梅垣直治郎]](元力士)- 死没地は不明、妻子とともに死亡したという。
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*[[山田天心]]
*[[五明楼国輔]](落語家)- 諸説あり。
*初代[[吉田久菊]](浪曲)- 横浜寿亭に出演中
====関東大震災犠牲者の慰霊施設====
*[[東京都慰霊堂]](旧震災記念堂)身元不明の遺骨を納め死者の霊を祀る。1948年(昭和23年)より、東京大空襲の身元不明の遺骨を納めその死者の霊も合祀している。
*[[「大正拾二年九月帝都震災殃死(おうし)者之霊供養碑」]] 東京大田区の[[池上本門寺]]境内。
[[File:Nebukawa Station earthquake passenger car left.jpg|thumb|right|220px|[[根府川駅]]から海中に転落した列車のうち、海岸に残った客車]]
=== 鉄道事故 ===
{{Main|根府川駅列車転落事故}}
[[神奈川県]][[足柄下郡]][[片浦村]](現
=== 火災 ===
[[File:Robert L. Capp Great Kantō earthquake 7.jpg|thumb|right|220px|震災直後の被服廠跡地の避難民の遺体]]
[[File:Gigantic cumulonimbus in the sky over Tokyo right after the Great Kanto Eartquake.jpg|thumb|right|220px|震災直後の火災により東京で発生した巨大な[[積乱雲]]]]
地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、136件の[[火災]]が発生した。大学や研究所で、化学薬品棚の倒壊による発火も見られた。一部の火災については、[[工藤美代子]]が「火元には、空き家や小学校、女学校、越中島の糧秣廠(兵員用の食料(糧)および軍馬用のまぐさ(秣)を保管する倉庫で、[[火薬]]類は保管していない)
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Great Kanto Earthquake9.jpg.JPG|大日本麦酒吾妻橋工場内鉄柱
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=== 建物の倒壊 ===
[[File:Ryounkaku.jpg|thumb|right|180px|半壊した[[凌雲閣]]]]
東京市内の建造物の被害としては、[[凌雲閣]](浅草十二階)が大破<ref>[https://www.kajima.co.jp/tech/seismic/higai/030608.html 小破・中破・大破とは] 鹿島建設 日本建築学会「1978年宮城県沖地震被害調査報告」</ref><ref>岡田成幸、高井伸雄、[https://doi.org/10.3130/aijs.64.65_5 地震被害調査のための建物分類と破壊パターン] 日本建築学会構造系論文集 64巻 (1999) 524号 p.65-72, {{doi|10.3130/aijs.64.65_5}}</ref><ref>高井伸雄、岡田成幸、[https://doi.org/10.3130/aijs.66.67_4 地震被害調査のための鉄筋コンクリート造建物の破壊パターン分類] 日本建築学会構造系論文集 66巻 (2001) 549号 p.67-74, {{doi|10.3130/aijs.66.67_4}}</ref>、建設中だった[[丸の内]]の[[内外ビルディング]]が崩壊し作業員約300
震源に近かった[[横浜市]]では官公庁や[[ホテルニューグランド|グランドホテル]]、[[オリエンタルパレスホテル]](現存しない)などが石造・煉瓦作りの洋館であったことから一瞬にして倒壊し、内部にいた者は逃げる間もなく圧死した。さらに火災によって、外国領事館の
なお地震後も[[気象観測]]を続けた中央気象台(現在の[[気象庁]]、位置は現在とほぼ同じで若干濠寄り)では、1日21時
=== 首都機能の麻痺 ===
震災当時、通信・報道手段としては[[電報]]と新聞が
[[郵便]]制度も同様だった。普通[[切手]]や[[はがき]]、そして[[印紙]]も焼け、一部に至っては原版までも失われた。全国各地の[[郵便局]]の在庫が逼迫することが予想されたため、[[糊]]や[[目打]]なしの[[震災切手]]と呼ばれる臨時切手が民間の印刷会社([[精版印刷]]・大阪、[[秀英舎]]・東京)に製造を委託され、9種類が発行された。その他にはがき2種類、印紙なども同様にして製造された。
さらに、11月に発行を予定していた皇太子裕仁親王(のちの[[昭和天皇]])と良子女王(のちの[[香淳皇后]])との[[結婚式]]の[[記念切手]]「[[東宮御婚儀不発行記念切手|東宮御婚儀]]」4種類のほとんどが
関東以外の地域では、通信・交通手段の途絶も加わって、伝聞情報や新聞記者・ジャーナリストの現地取材による情報収集に頼らざるを得なくなり、新聞紙上では「東京(関東)全域が壊滅・水没」
[[File:960SL buried at Sainome tunnel.jpg|thumb|220px|[[真鶴駅]]-[[根府川駅]]間の寒ノ目山トンネルで埋没した上り第116列車の牽引機関車]]
震央から約120kmの範囲内にあった国有鉄道の149トンネル(建設中を含む)のうち、93トンネルで補修が必要となった。激しい被害を受けたのは
== 地震の混乱で発生した事件 ==
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