「レイナード」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Tyokki (会話 | 投稿記録)
32行目:
全日本F3000でも、1989年以降チャンピオン争いに加わることはできたが、レイナードが日本で2回目のチャンピオンマシンになるのはフォーミュラ・ニッポンとなった1996年まで待たねばならなかった。これはヨーロッパと日本のサーキットの舗装の違いや、各シリーズに供給されるタイヤが異質とも言える程の違いがあったためで、当時は(特にサスペンション周りについて)ヨーロッパ仕様とは別の「日本仕様」を製作・開発・供給する必要があった。エンジニアを日本へ直接派遣する等してマシンの戦闘力アップとセッティングを進めようとしたが、チャンピオンマシンになるには時間がかかった。
 
=== フォーミュラ・ニッポン (現・スーパーフォーミュラ) ===
1996年に全日本F3000はフォーミュラ・ニッポンに衣替えして、引き続きレイナード・ローラ・[[童夢 (自動車会社)|童夢]]の3社(後に童夢に代わり[[パノス|Gフォース]]が参入)による戦いが継続されたが、1999年以後はレイナードは性能面で他社に比べ優位に立ち、事実上レイナードのワンメイク状態となった。
 
しかし2002年に同社が倒産し、消耗パーツやスペアモノコック等の供給に問題が発生する恐れが出てきたことや、今後の開発がストップするなどの問題が出てきたことから、2003年よりフォーミュラ・ニッポンはシャシーをローラのワンメイクに変更した(さらにその後2009年からは[[スウィフト・エンジニアリング]]、2014年からは[[ダラーラ]]のワンメイクとなる)。
 
=== F3 ===