「渋谷公会堂」の版間の差分
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|設備=オーケストラピット、照明、ピアノ、音響設備、映写設備
|用途=コンサート、各種催し
|運営=[[渋谷区]]<br/>(指定管理者: 渋谷公会堂プロジェクトチーム([[アミューズ|株式会社アミューズ]]、[[LINE (企業)|LINE株式会社]]、株式会社パシフィックアートセンター))
|所在地=[[東京都]]渋谷区[[宇田川町]] 1番1号
| 緯度度 = 35 | 緯度分 = 39 | 緯度秒 = 51.55 | N(北緯)及びS(南緯) = N
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|閉館日 = 4<!--同-->
|終公演 = <!--同。分かっている場合は記入-->
|収容人数=2,084<ref>[[2005年]]([[平成]]17年)の改装以前の定員は2,318人(1階席
|客席=1階 1,235席<br />2階 849席
|延床面積= 8150,53
|設備=オーケストラピット
|用途=コンサート
|運営=[[渋谷区]](指定管理者: 株式会社パシフィックアートセンター)
|所在地=[[東京都]]渋谷区[[宇田川町]] 1番1号
|郵便番号=150-0042
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}}
'''渋谷公会堂'''(しぶやこうかいどう、''Shibuya Public Hall'')は
後述の施設建て替えにより、2015年10月4日を以て閉館され、2019年11月に新装オープンする運びとなっている<ref name="Julie">[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/10/05/kiji/K20151005011264260.html 「ありがとー、渋谷公会堂!」ジュリーが別れの一本締め] スポーツニッポン 2015年10月5日閲覧</ref>。
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== 歴史 ==
[[連合国軍占領下の日本]]にて設置された[[在日米軍]]施設「[[ワシントンハイツ (在日米軍施設)|ワシントンハイツ]]」の跡地に、[[国立代々木競技場]]
施設が竣工した[[1964年東京オリンピックのウエイトリフティング競技]]会場として使用された。その翌年になって改めてコンサートホールとして開業した。設計は建設モード研究所。
ホールは[[1975年]](昭和50年)頃から人気テレビ番組 『[[8時だョ!全員集合]]』([[TBSテレビ|TBS]])の公開録画会場としてしばしば使われた。また、歌番組 『[[NTV紅白歌のベストテン]]』、『[[ザ・トップテン]]』、『[[歌のトップテン]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系)の公開[[生放送]]にも、[[1988年]]の秋頃まで使用されていた。
[[12月]]第1[[土曜日]]には、渋谷区の[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|第九]]コンサートが行われる。また、風変わりなコンサートとして、[[1981年]](昭和56年)[[12月3日]]には[[大瀧詠一]]の企画による『ヘッドフォンコンサート』という、観客が自身の[[ヘッドフォン]]を持参し、小型のFM[[ラジオ]]を取り付けた座席でステージの上の演奏をヘッドフォンを通して聴くという試みが行われた。これは、ライブ録音を可能とするスタイルである。
渋谷公会堂が“ロックの殿堂”と呼ばれるようになった切っ掛けは、[[1983年]](昭和58年)[[2月13日]]{{~}}[[2月15日]]の[[浜田省吾]]3DAYSといわれる<ref>[http://www.diskgarage.com/digaonline/column/74168 渋谷公会堂物語 〜渋公には伝説という魔物が棲んでいる〜 序章-前編- 語り手:(株)ディスクガレージ 中西健夫]</ref>。
[[1987年]](昭和62年)[[12月24日]]には、当時人気だったロックバンド「[[BOØWY]]」のコンサート([[1224]]を参照)が行われた。その最中に[[氷室京介]]が突然の解散宣言をし、会場に入れなかったファンが会場に向けて大暴動を起こし<!--why??-->、公会堂のガラスが割られるという事件も発生した。
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