渋谷公会堂
Shibuya Public Hall
渋谷C.C.Lemonホール(渋谷公会堂)
情報
通称 渋公(しぶこう)
正式名称 渋谷公会堂[1]
旧名称 渋谷C.C.Lemonホール
2006年10月 - 2011年9月)
完成 1964年
開館 1965年2月
収容人員 2,084[2]
客席数 1階 1,235席
2階 849席
延床面積 8150,53m²
設備 オーケストラピット、照明、ピアノ、音響設備、映写設備
用途 コンサート、各種催し
運営 渋谷区(指定管理者:株式会社パシフィックアートセンター)
所在地 150-0042
東京都渋谷区宇田川町 1番1号
位置 北緯35度39分51.55秒 東経139度41分51.91秒 / 北緯35.6643194度 東経139.6977528度 / 35.6643194; 139.6977528座標: 北緯35度39分51.55秒 東経139度41分51.91秒 / 北緯35.6643194度 東経139.6977528度 / 35.6643194; 139.6977528
アクセス JR渋谷駅より徒歩10分
JR原宿駅より徒歩10分
明治神宮前駅より徒歩10分
渋谷区役所前バス停徒歩1分(ハチ公バス京王バス渋63・渋64・渋67・宿51系統 / 都営バス早81系統)
公式サイト http://shibuko.com/

渋谷公会堂(しぶやこうかいどう、Shibuya Public Hall)は、東京渋谷にあるコンサートホールである。渋谷区が設置し、指定管理者制度により株式会社パシフィックアートセンターが管理・運営を担当[3]

後述の施設建て替えにより、2015年10月4日を以て閉館され、2018年に新装オープンする運びとなっている[4]

区民による第九コンサート(2011.12.3)

目次

概要編集

閉館前の本館は音楽堂としての評価が高く、作曲家・黛敏郎に「クラシック音楽に最適」と評されたほか、2009年平成21年)には日本音響家協会による『音響家が選ぶ優良ホール100選』に選出された。

また、NHK放送センターの正面、渋谷公園通り沿いに立地する2,000人規模の会場という特性もあり、国内外のミュージシャンや歌手のコンサートライブ会場として使用されることが多く、ミュージシャン・歌手にとってはこのホールでの公演の実施・成功が、世間大衆から一流への登竜門或いは人気のバロメーターのように見做されることもある。

開業当初の1964年昭和39年)には、東京オリンピック重量挙げ競技の会場として使用され、施設内には「東京オリンピックメモリアルプレート」が設置されていた[5]。かつては回転舞台も名物となっていたが、使用頻度の減少と維持費の増大などから、2005年(平成17年)の改装を機に撤去された。

歴史編集

連合国軍占領下の日本にて設置された在日米軍施設「ワシントンハイツ」の跡地に、国立代々木競技場NHK放送センター渋谷区役所などともに建設された。太平洋戦争以前、一帯は大日本帝国陸軍代々木練兵場で、渋谷公会堂の付近には衛戍監獄(陸軍刑務所)が設置されていた[6]

施設が竣工した1964年(昭和39年)当初は東京オリンピック重量挙げ競技の会場として使用された。その翌年になって改めてコンサートホールとして開業した。設計は建設モード研究所。

ホールは1975年(昭和50年)頃から人気テレビ番組 『8時だョ!全員集合』(TBS)の公開録画会場としてしばしば使われた。また、歌番組 『NTV紅白歌のベストテン』、『ザ・トップテン』、『歌のトップテン』(日本テレビ系)の公開生放送にも、1988年の秋頃まで使用されていた。

12月第1土曜日には、渋谷区の第九コンサートが行われる。また、風変わりなコンサートとして、1981年(昭和56年)12月3日には大瀧詠一の企画による『ヘッドフォンコンサート』という、観客が自身のヘッドフォンを持参し、小型のFMラジオを取り付けた座席でステージの上の演奏をヘッドフォンを通して聴くという試みが行われた。これは、ライブ録音を可能とするスタイルである。

1987年(昭和62年)12月24日には、当時人気だったロックバンド「BOØWY」のコンサート(1224を参照)が行われた。その最中に氷室京介が突然の解散宣言をし、会場に入れなかったファンが会場に向けて大暴動を起こし、公会堂のガラスが割られるという事件も発生した。

全面改装編集

施設では2005年(平成17年)7月から改修工事が進められ、翌年10月1日に完了した。改修前には、天井の建材にアスベストが使われていることも問題となっていた。改修によって回転舞台は撤去され、舞台の真下にあった(せり)の機械室は、改装時に潰した上で出演者の控え室へと改められた。

宝塚松竹日劇のOGによる公演が、改装後のこけら落しとなった。

「C.C.レモンホール」編集

改装時、渋谷区は新たな収入源を確保する試みとして、公会堂の命名権(ネーミングライツ)を、広告会社・電通に売却した[7]。この際に売却された命名権は2006年(平成18年)10月1日からの5年間を契約期間とし、売却額は年間8,000万円に消費税を加えた計4億2,000万円である[7]。この権利は、電通を通じてサントリーが取得、自社の炭酸飲料の商品名を冠して、「渋谷C.C.Lemonホール(しぶやシーシーレモンホール)」と命名した[7]

この結果、渋谷公会堂は、iichiko総合文化センター宝山ホール東京エレクトロン韮崎文化ホールに続いて全国で4カ所目のネーミングライツホールとなり、建物の正面には、C.C.レモンの大きな看板が掲げられた。

契約期間の終了時、サントリーは「商品の認知度を高めるという当初の目的は達成した」として、契約の延長を行わなかった[7]。この結果、2011年(平成23年)9月30日には「C.C.Lemonホール」の表示や看板も撤去され、翌10月1日には5年ぶりに「渋谷公会堂」の呼称が公式にも復活した。この命名権について渋谷区は、新たな契約者を募集していた[7]

解体・建て替え編集

 
旧渋谷区役所ビルから見た解体前の渋谷公会堂(2015年11月撮影)

渋谷区は2013年2月に桑原敏武区長(当時)が「施設の老朽化のため、渋谷区役所庁舎及び渋谷公会堂を解体し、建て替えたい」という方針を表明。その後渋谷区議会で特別委員会を設置して区役所と公会堂の今後について検討を重ね、2013年9月に渋谷区議会本会議で渋谷区役所庁舎及び渋谷公会堂の建て替えを賛成多数で決議した[8]

これにより、渋谷公会堂は2015年10月4日に開催された沢田研二のコンサートライブを最後として閉館され、解体、建て替え工事が行われることとなった。沢田の渋公ラストコンサートは10月2日から3日間行われ、「最後の渋公3days」としてファンが全国から集まり、沢田とともに渋公への感謝と別れを告げたラストステージとなった。2018年に新装オープンする予定となっている[4]

周辺の施設編集

脚注編集

  1. ^ 渋谷公会堂条例
  2. ^ 2005年平成17年)の改装以前の定員は2,318人(1階席:1,352人、2階席:966人)。
  3. ^ 平成23年4月1日~平成28年3月31日まで
  4. ^ a b 「ありがとー、渋谷公会堂!」ジュリーが別れの一本締め スポーツニッポン 2015年10月5日閲覧
  5. ^ 東京オリンピック重量挙げ男子フェザー級金メダリストの三宅義信は、渋谷公会堂の建設風景を見て『日本の国中で戦っているのだ。私も頑張らねばならない』と必勝を誓ったと語っている「渋谷公会堂」4日に閉館…こけら落としは64年の東京五輪 スポーツニッポン 2015年10月4日閲覧。
  6. ^ 日本放送協会とその周辺 『江戸・東京歴史の散歩道 5』(街と暮らし社) 2003年(平成15年)7月1日
  7. ^ a b c d e 渋谷公会堂命名権 サントリー、延長せず 日本経済新聞 2011年(平成23年)9月30日朝刊 東京・首都圏経済面
  8. ^ 渋谷区総合庁舎の建替えを求める決議 渋谷区議会ホームページ 2013年9月10日付

外部リンク編集