「ローマ人の物語」の版間の差分

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== 執筆・刊行 ==
[[1992年]]の第1巻から年に1冊執筆することが計画されており、実際に年に1冊ずつ新潮社から刊行された<ref name="産経" />。刊行が開始された1992年には塩野はすでに55歳であり、この年から書き始めないと、完結まで体力などが保たないと考えていたという<ref name="舞台裏">{{Cite web |author=『ローマ人の物語』編集室 |url=http://www.shinchosha.co.jp/topics/shiono/butaiura.html |title=ローマ人の物語 執筆の舞台裏 |publisher=新潮社 |accessdate=2018-09-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151201214056/http://www.shinchosha.co.jp/topics/shiono/butaiura.html |archivedate=2015年12月1日 }}</ref>。執筆は各年ともローマで行われ、日本で行う作業の期間は数週間ほどだったという<ref name="舞台裏" />。1年のうち4月を史料の読解に使い、残りを執筆や編集作業に当てていた<ref name="舞台裏" />。
 
単行本は、[[2006年]]12月刊行の15作目で完結している<ref name="産経" />。一方で、2002年からは新潮文庫で文庫化もされ、全43冊が発行されている<ref name="文庫" />。文庫版の各巻表紙には、ローマの貨幣の写真があしらわれているが、これは塩野自身が選んでいるという<ref name="文庫" />。
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作者の塩野自身は本作品について「いろいろと調べた結果の歴史事実を」書いたものだと主張している<ref name="対談1" />。『ローマ人の物語』は、書店や図書館などでは小説ではなく歴史書として配置され、また学生や市民講座の受講者のあいだでも歴史書として受容されている<ref name="坂口" />。2011年に[[人事院]]が作成した「若手行政官への推薦図書」においては、「歴史・伝記」に属するものとして本作が推薦された<ref name="人事院" />。
 
一方で、『ローマ人の物語』が歴史小説ではなく歴史書として読まれる傾向があることに複数の歴史学者が懸念を示している。
 
古代ローマ史研究者の[[石川勝二]]は、『ローマ人の物語』の第1巻が刊行された当初に、同書を俎上に上げてその内容を詳細に検討している<ref name="石川">{{Cite journal|和書|author=[[石川勝二]]|year=1994|title=ローマ史は一日にして成らず 初期ローマ史の研究と叙述|journal=歴史評論|issue=531||publisher=[[歴史科学協議会]]|pages=63-80}}</ref>。石川は、ローマ全史を一人で叙述しようという試みを「壮大」なものであるとして評価しつつ、ローマ成功の原因を探ろうとする塩野の姿勢に共感を示す。そして、塩野のれまでの著作と比べ、『ローマ人の物語』は「歴史書の性格をもっていることは明らか」と述べている。その上で、『ローマ人の物語』には事実関係の記述などに多くの誤りが見られる上、史料とはかけ離れた叙述も存在することを批判する。そして、全体としては従来のローマ史の解釈・叙述と異なる点がなく、斬新さにも欠けると主張している<ref name="石川" />。
 
石川は、具体的に固有名詞の表記の誤りや、ごく単純な事実の錯誤を数多く指摘しているが、さらに例えば次のような点が問題であるとう。まず、塩野は[[リキニウス法]]を平民に対して官職への道を開き、貴族と平民間の融和を実現したものとして高く評価している。しかし、実際にはそれ以前から[[執政官]]に就任した平民は存在していたし、一方でリキニウス法以後も貴族と平民身分の対立は続いたと考えられ、リキニウス法の意義は限定的なものであると考えられる。また、官職の[[クァエストル|quaestor]]には「財務官」という定訳があるにもかかわらず、塩野は「会計検査官」という訳語を当てているが、実際にはこの役職に会計検査の役割はなかった。塩野はローマにおける「政界への登竜門」としてquaestorを重要な官職として位置付けている。しかし、この職からまったく昇進をしなかった人物も数多く、この塩野の主張には何ら史料的な根拠がない。
 
また、叙述に考古学的成果が用いられていない点も石川は問題視している。その他、ローマが市民権を他の国民にも付与することに寛大であったとし、塩野はこのことを高く評価しているが、これは従来のローマ史の解釈と異なるところがなく、実際には他の解釈も可能なのにもかかわらず、独自性に欠けた叙述だとも言う。そして、「通説を後生大事に守るような態度は願い下げ」であると批判する<ref name="石川" />。
 
こうしたことに加えて、全く史料に存在しない、完全な誤謬ないし創作と考えられる記述が『ローマ人の物語』にはあると石川は述べる。塩野の叙述によれば、紀元前297年の[[クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌス|ファビウス]]の執政官選出の際に、ヴォルムニウスという人物が選出された後、ファビウスの要望で別の人物([[プブリウス・デキウス・ムス (紀元前312年の執政官)|デキウス]])が選出されたとする。しかし、現存している唯一の史料である[[ティトゥス・リウィウス|リウィウス]]の記述には、ヴォルムニウスという人物は存在しない。同様に塩野によれば、[[カウディウムの戦い]]の指揮官を執政官の「センティムウス」なる人物であるとし、その人物が紀元前297年のゲリラ戦の指揮にも当たっていたという。しかし、センティムウスという人物は実在しないと考えられる<ref name="石川" />。
 
ローマ人の物語が完結した2006年には、ローマ帝国の社会経済史を専門とする坂口明が、『[[史学雑誌]]』の「回顧と展望」において『ローマ人の物語』に言及している<ref name="坂口" />。坂口は、『ローマ人の物語』の14巻までを通読したうえで、エンターテイメントとしては評価しつつも、根拠のない断定や誤謬があり、歴史書として読むことはできないと指摘する<ref name="坂口">坂口明「回顧と展望 ローマ」『[[史学雑誌]]』第115編第5号、2006年5月、p.318。</ref>。[[本村凌二]]も、本作の叙述について、史料がないにもかかわらず「何をもってそう描けるのか」という疑問があると述べている<ref>本村凌二「ローマ 回顧と展望」『[[史学雑誌]]』第115編第5号、2008年、p.314。</ref>。
 
[[小田中直樹]]は、古代ローマ史学者の[[南川高志]]の著作と『ローマ人の物語』の比較を行っている<ref name="小田中">小田中直樹『歴史学ってなんだ?』[[PHP研究所]]、2004年、pp.24-39。</ref>。小田中によれば、『ローマ人の物語』は史料批判や先行研究の整理が不十分であり、歴史学の方法論に基づいていない。そのため、叙述の根拠が著者の感想にとどまっているためので、歴史書ではなく歴史小説であるという点に留意する必要があるという。
 
== 受賞 ==
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* 『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』(2007年/文庫、2011年)
* 『痛快!ローマ学』(集英社、2002年/改題『ローマから日本が見える』2005年/集英社文庫、2008年)
* 『ギリシア人の物語』(新潮社、全3巻、2015年~2017 - 2017年)
 
== 出典 ==
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== 関連文献 ==
* 石川勝二「書評 塩野七生著『ローマ人の物語II  ハンニバル戦記』」『軍事史学』33巻、軍事史学会、1997年。
* 米山宏史「書評 塩野七生『ローマ人の物語VI  パクス・ロマーナ』」『軍事史学』37巻、軍事史学会、2001年。
 
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