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== 来歴 ==
[[埼玉県]][[川口市]][[本町 (川口市)|本町]]出身。両親は[[富山県]]出身(父親は旧[[上新川郡]][[大久保町 (富山県)|大久保町]]出身、母親は[[富山市]]小中出身<ref>{{Cite news|title = 蜷川幸雄さん死去 世界的演出家、80歳|newspaper = [[北日本新聞]]|date = 2016-05-13|url = http://webun.jp/item/7275986|accessdate = 2016-05-13}}</ref>)。生家は洋服店で、父親は[[川口オートレース場]]のオーナーだったこともある。小中学生時代は近所に下宿していた後の[[立教大学]]総長[[浜田陽太郎]]が家庭教師であった。
 
蜷川は1年留年して[[開成中学校・高等学校|開成高等学校]]を卒業、画家を志して[[東京芸術大学]][[美術学部]]を受験するが失敗し、将来の進路に迷っていた時、偶然「[[劇団青俳]]」による[[安部公房]]『制服』の公演に接し、衝撃を受けて「劇団青俳」に参加する<ref>{{Cite book |和書 |author=[[妹尾河童]] |year=1998 |title=河童が覗いた仕事師12人 |publisher=[[新潮社]] |series=[[新潮文庫]] |pages=68 - 69 |isbn=4-10-131105-6}}</ref>。俳優として活躍していたが「自分は演出に向いている」と悟り劇団を結成し演出家に転向した(それ以降もある時期までは俳優業は続けていた)。[[アンダーグラウンド (文化)|アングラ]]・[[小劇場]]運動盛んな時期に演出家としてデビューし、若者層を中心に人気を集める。1970年代半ばから[[商業演劇]]に活動の場を移し大劇場でのダイナミックな演出で話題作を次々と発表していった。1990年代以降は中劇場の空間を好んで使っている。