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人物・来歴編集

埼玉県川口市本町出身。両親は富山県出身(父親は旧上新川郡大久保町出身、母親は富山市小中出身[2])。生家は洋服店で、父親は川口オートレース場のオーナーだったこともある。小中学生時代は近所に下宿していた後の立教大学総長浜田陽太郎が家庭教師であった。

蜷川は1年留年して開成高等学校を卒業、画家を志して東京芸術大学美術学部を受験するが失敗し、将来の進路に迷っていた時、偶然「劇団青俳」による安部公房『制服』の公演に接し、衝撃を受けて「劇団青俳」に参加する[3]。俳優として活躍していたが「自分は演出に向いている」と悟り劇団を結成し演出家に転向した(それ以降もある時期までは俳優業は続けていた)。アングラ小劇場運動盛んな時期に演出家としてデビューし、若者層を中心に人気を集める。1970年代半ばから商業演劇に活動の場を移し大劇場でのダイナミックな演出で話題作を次々と発表していった。1990年代以降は中劇場の空間を好んで使っている。

蜷川の演出作品は、清水邦夫唐十郎井上ひさし野田秀樹岩松了などの現代劇からギリシャ悲劇シェイクスピアチェーホフなど海外の古典・近代劇に至るまで、多岐にわたる。鮮烈なヴィジュアルイメージで観客を劇世界に惹き込むことを得意とする、現代日本を代表する演出家のひとり。海外でも評価が高く、「世界のニナガワ」とも呼ばれる。

現代演劇のフィールド外でも、小澤征爾の指揮による歌劇さまよえるオランダ人』(リヒャルト・ワーグナー作曲)、宇崎竜童作曲によるミュージカル『魔女の宅急便』、尾上菊之助の依頼を受け菊五郎劇団と組んだ歌舞伎『NINAGAWA十二夜』などを演出、ほかにも映画、テレビドラマ、コンサート、ファッションショーなど、さまざまな媒体や舞台での演出を手掛けている。エッセイ集も出しているが、蜷川自身は文章を書くことは楽しくはないが断れずにやっている、という。

私の履歴書』によると、俳優時代の蜷川は「劇団青俳」の木村功岡田英次などに可愛がられたという。そして、俳優より演出家として成り立っていったある日、出演していた時代劇[注釈 1]を見た太地喜和子から、俳優としての演技にダメ出しされたことを切っ掛けに演出家一本に絞ることにしたという。

2016年5月12日午後1時25分、肺炎による多臓器不全のため東京都内の病院で永眠[4]。満80歳没(享年82)。同年5月15日に東京青山葬儀所で蜷川の通夜が営まれ、田原総一朗松本幸四郎北大路欣也宇崎竜童阿木燿子夫妻、本田博太郎名取裕子吉田鋼太郎堤真一東山紀之中嶋朋子木村拓哉宮沢りえ綾野剛藤原竜也小栗旬鈴木杏勝地涼亀梨和也溝端淳平岡田将生多部未華子藤木直人前田敦子ピカソ利光ら演劇関係者やファン約1600人が弔問に訪れた。5月16日の告別式では、平幹二朗大竹しのぶ、吉田、小栗、藤原の5人が弔辞を読んだ[5]渡辺謙二宮和也松本潤生田斗真松坂桃李らも参列した。出棺時は、Libera(リベラ)のサンクトゥスが流れた。

2016年6月10日、日本政府は生前の蜷川が演劇文化の発展に尽くした功績を讃え、没日の5月12日付で従三位に叙することを閣議により決定した[6][7]

2016年7月、蜷川幸雄の作品記録の承継・著作権・肖像権及び商標権の管理をおこなうため、「ニナガワカンパニー」が妻・蜷川宏子を代表に設立される。

家族編集

妻は元女優で現在はキルト作家の真山知子で、2人の娘がおり、長女に写真家として活動している蜷川実花、姪に女優蜷川有紀蜷川みほがいる。

役職編集

略歴編集

上演作品年表編集

没後の上演作品編集

  • 2016年 『尺には尺を』(※稽古期間中に逝去)
  • 2017年 『NINAGAWA・マクベス』(香港・イギリス・シンガポール公演)
  • 2018年 『ムサシ』(中国公演)『NINAGAWA・マクベス』(アメリカ公演)
  • 2019年 『海辺のカフカ』(フランス公演)


※基本的には同プロダクションでの再演作品の明記(海外公演を除く)、および稽古場発表などの形態による上演作品の明記はしていない。

受賞歴編集

菊田一夫演劇賞文化庁芸術祭演劇部門大賞、テアトロ演劇賞芸術選奨文部大臣賞、読売演劇大賞(第20回に大賞と最優秀演出家賞[注釈 2])、松尾芸能賞毎日芸術賞朝日賞、朝日舞台芸術賞(グランプリ、特別大賞)、紀伊國屋演劇賞個人賞など、多数の受賞がある。

2001年紫綬褒章2004年秋に文化功労者2010年秋に文化勲章を受章。他に第53回菊池寛賞、埼玉県民栄誉章、川口市市民栄誉賞などを受賞。

2016年に従三位[6]

海外では、1992年に英国エジンバラ大学名誉博士号、2002年に英国名誉大英勲章第三位。2005年にWalpoleメダル、2010年に米国ケネディ・センター国際委員会芸術部門ゴールド・メダルを受章。

監督作品編集

テレビドラマ編集

映画編集

出演作品編集

テレビドラマ編集

映画編集

舞台編集

  • 明日そこに花を挿そうよ(1960年) - 右太
  • 住み込みの女(1983年) - 鼠男
  • タンゴ・冬の終わりに(1984、86年) - 黒マント

CM編集

ラジオ編集

著書編集

  • 『BGMはあなたまかせ』サンケイ出版、1982
  • 『Note 1969 - 1988』河出書房新社、1989
  • 『千のナイフ、千の目』紀伊國屋書店、1993 (ちくま文庫 2013)
  • 『蜷川家のお総菜』蜷川宏子共著 鎌倉書房 1993
  • 『蜷川幸雄の子連れ狼伝説』小池書院、1998
  • 『蜷川幸雄・闘う劇場』日本放送出版協会・NHKライブラリー、1999
  • 『Note 1969 - 2001 増補完全版』河出書房新社、2002
  • 『演出術』長谷部浩共著 紀伊國屋書店 2002 (ちくま文庫 2012)
  • 『反逆とクリエイション 蜷川幸雄トークセッション』紀伊國屋書店 2002
  • 『「青の炎」シナリオブック』宮脇卓也共著 角川書店 2003
  • 『蜷川幸雄の稽古場から』蒼井優,小栗旬,尾上菊之助,勝地涼,鈴木杏,寺島しのぶ,成宮寛貴,長谷川博己,藤原竜也,松たか子共著 ポプラ社 2010
  • 『演劇ほど面白いものはない 非日常の世界へ』PHP研究所 2012
  • 『演劇の力』日本経済新聞出版社 2013
  • 『身体的物語論』徳間書店 2018

現代人劇場編集

現代人劇場は蜷川幸雄、清水邦夫などで旗揚げした劇団。1967年結成。1971年解散。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ この時代劇とは、1979年の『水戸黄門』第10部(六条三位役)である。
  2. ^ 『読売新聞』によれば「2012年・蒼白の少年少女による『ハムレット』」と「シンベリン」の演出[9]

出典編集

  1. ^ 蜷川幸雄(にながわゆきお)の解説”. goo人名事典. 2019年11月17日閲覧。
  2. ^ “蜷川幸雄さん死去 世界的演出家、80歳”. 北日本新聞. (2016年5月13日). http://webun.jp/item/7275986 2016年5月13日閲覧。 
  3. ^ 妹尾河童『河童が覗いた仕事師12人』新潮社新潮文庫〉、1998年、68 - 69頁。ISBN 4-10-131105-6
  4. ^ “訃報 演出家の蜷川幸雄さん死去、80歳…文化勲章受章者”. 毎日新聞. (2016年5月12日). http://mainichi.jp/articles/20160513/k00/00m/040/012000c 2016年5月12日閲覧。 
  5. ^ 蜷川幸雄さん告別式 俳優5人の弔辞全文”. NHK「かぶん」ブログ (2016年5月16日). 2018年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月11日閲覧。
  6. ^ a b c “蜷川幸雄氏に従三位 政府が閣議で決定”. サンケイスポーツ. (2016年6月11日). http://www.sanspo.com/geino/news/20160611/geo16061105000008-n1.html 2016年6月11日閲覧。 
  7. ^ 『官報』6801号、平成28年6月22日
  8. ^ みんなが選ぶ2010年川口市10大ニュース (PDF) 」 『広報かわぐち』2011年1月号、埼玉県川口市、 4頁、2019年3月23日閲覧。
  9. ^ “読売演劇大賞 笑顔の贈賞式”. 読売新聞 朝刊 (読売新聞社): p. 38面. (2013年2月28日) 
  10. ^ “蜷川幸雄、ジャニー喜多川氏にインタビュー 素顔に迫る”. オリコン. (2014年11月20日). http://www.oricon.co.jp/news/2044786/full/ 2014年11月20日閲覧。 

関連項目編集

外部リンク編集