「わら半紙」の版間の差分

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洋紙の国産化を目指して設立された[[東京府]][[北豊島郡]][[王子 (東京都北区)|王子村]](現・[[東京都]][[北区 (東京都)|北区]]王子)の「製紙会社」(のち[[王子製紙 (初代)|王子製紙株式会社]])が[[1882年]]、操業開始にあたって木綿のウエスとわらを原料に生産を始めた日本特有の用紙である<ref name="saga">「ハテナの行方6『わら半紙』消えた?」『佐賀新聞』2006年7月19日付、[[佐賀新聞社]]</ref>。数年後の[[1889年]]ごろには原料の木材パルプへの切り替えが始まり<ref name="saga" />、上質紙に比べ白色度に劣る中質紙や更紙などを示す名称として残った。これ以降は、[[太平洋戦争]]直後の混乱期に一時わらを用いた可能性は完全に否定できないものの、少なくとも戦前戦後を通じ、わらを原料に使用したという記録はない<ref name="saga" />。
 
原料は一般に木材パルプと古紙で<ref name="saga" />、白色度50%前後の灰色である。[[リグニン]]を除去していないため[[上質紙]]に比べ比較的短期間で黄色く変色し、長期間の保存にはあまり適さない。また筆記用具によっては破れやすい特性を持つ。[[坪量]]は[[米坪]]48g/m<sup>2</sup>(厚さ0.06mm相当)で、俗に「コピー用紙」と呼ばれる上質紙よりも薄いのが特徴である。
 
かつては一般にもっとも馴染み深い洋紙で、[[1960年]]までは[[消費者物価指数]]の調査対象品目となっていた<ref>「時代映す輸入品増加 消費者物価指数の調査対象、切り替え」『北海道新聞』朝刊1996年8月30日付14面、[[北海道新聞社]]</ref>。以降も日本において謄写ファックス印刷を含む[[謄写版]]が学校や企業、官公庁の事務現場で一般的に用いられていた[[1980年代]]半ばまで、事務印刷の用紙として多用されたが、[[複写機#PPC複写機|PPC複写機]]が普及し、事務作業のOA化が進んだ[[1990年代]]以降は上質紙に取って代わられ、製紙会社の受注量は減少している<ref name="saga" />。