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[[島根県]][[安来市]]の出身で、[[島根県立安来高等学校]]から[[國學院大學]][[文学部]]日本文学科に進学。大学卒業後の[[1970年]]に、アナウンサーとして朝日放送へ入社した。同期入社のアナウンサーに、[[金木賢一]]などがいる。入社後は、[[プロ野球中継]]の実況や、ラジオの[[ワイド番組]]の[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]などを担当した。
 
少年時代からの[[大阪近鉄バファローズ]]ファン。近鉄ファンになったきっかけは、「子供の頃に地元島根出身の選手が多く入っており、[[読売ジャイアンツ|巨人]]に所属していた捕手[[竹下光郎]]が移籍後急速に伸びてきたから」という旨の発言をしている<ref name="pawa94" />。奇しくも、安部が在職中の朝日放送では[[阪神タイガース]]戦に次いで近鉄戦(関西圏開催中心としたビジターゲームを含む)も定期的に中継していたため、安部も近鉄戦の中継で数多く実況を担当していた{{refnest|阪神戦についてもテレビ・ラジオともに対巨人戦を中心とした全国中継を含めて相当数担当した。}}。[[1971年]][[9月9日]]には、[[日本生命球場|日生球場]]での対[[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]]戦で、近鉄の[[鈴木啓示]]が[[ノーヒットノーラン|無安打無得点試合]]を達成した瞬間を実況した。当初はこの試合の中継予定がなく、安部は野球実況を練習するつもり{{refnest|この当時、各放送局の若手アナウンサーがプロ野球の実況のマイクロフォンに立つことはない時代であった。|group=注}}で、日生球場の放送席に座っていた。しかし、大記録(ノーヒットノーラン)達成の可能性が生じたことから、急遽ラジオで実況を任されたという<ref>ベースボールマガジン社「さらば大阪近鉄バファローズ」より</ref>。
 
[[1988年]][[10月19日]]には、[[10.19]]([[川崎球場]]の[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]] 対近鉄[[ダブルヘッダー]])第2試合でテレビ中継の実況を担当。この試合は[[テレビ朝日]]の英断によって、急きょ、試合の途中から全国中継に切り替わったことに加え、近鉄の[[パシフィック・リーグ]]逆転優勝の可能性がこの試合での引き分けによって消滅したことから、安部の実況が一躍注目されるようになった。4 - 4の同点で迎えた9回表2死2塁で、近鉄の[[新井宏昌]]が三塁線へ放った痛烈なゴロをロッテの三塁手・[[水上善雄]]が好捕したところ、「止める!水上! '''This is プロ野球'''!! まさに、打ちも打ったり新井! よく止めた水上! 白熱のゲームが、好プレーを演出!」と絶叫したことでも知られる{{refnest|このシーンは、テレビ朝日の緊急編成によって、『ニュースステーション』の中で放送された。9回表の終了後には、メインキャスターの[[久米宏]]が、「こちらは'''This is ニュースステーション'''でございます。『ニュースステーション』ではこのまま、9回裏まで(ロッテ対近鉄戦の中継を)お送り致します。そして、延長戦の場合には13回まで(中継に)行きます」という表現で視聴者に断りを入れていた(実際には延長10回の末に4 - 4のスコアで時間切れの引き分け)。|group=注}}。