安部憲幸

日本のフリーアナウンサー、元ABCテレビアナウンサー

安部 憲幸(あべ のりゆき、1945年昭和20年〉5月8日[1] - 2017年平成29年〉4月6日)は、フリーアナウンサー。元朝日放送[注 1](ABC)アナウンサー。 

あべ のりゆき
安部 憲幸
プロフィール
愛称 アベロク、あべ六、アベ六
出身地 日本の旗 島根県安来市
生年月日 1945年5月8日
没年月日 (2017-04-06) 2017年4月6日(71歳没)
最終学歴 國學院大學文学部日本文学科
所属事務所 フリー
職歴 朝日放送アナウンサー
朝日放送ラジオ局次長
朝日放送ラジオ局コメンテーターなど
活動期間 1970年 - 2007年
ジャンル スポーツ中継
ラジオパーソナリティ
出演番組・活動
出演経歴 プロ野球中継
アベロクのどんまいサンデー

愛称は「アベロク[2]」(ラジオの冠番組タイトルにも使用。他に「あべ六[3]アベ六」とも)。愛称の由来(意味)は、6チャンネル(ABCテレビ)の安部から来ているという説[3]、大学に6年通ったからという説がある。ABC時代の後輩アナウンサーで、部下でもあった名字が同じ読みの阿部成寿との区別にもなっている。

来歴・人物 編集

島根県安来市出身。島根県立安来高等学校から國學院大學文学部日本文学科に進学した。大学卒業後の1970年に、アナウンサーとして朝日放送(ABC)へ入社した[1]。同期入社のアナウンサーに、金木賢一などがいる。入社後はプロ野球中継の実況や、ラジオのワイド番組パーソナリティなどを担当した。プロ野球中継以外の担当番組では、兵庫県宝塚市で生活していることを折に触れて明かしていた。

少年時代から近鉄バファローズのファンであった。近鉄ファンになったきっかけについては、「地元(島根県出身)の選手が数多く在籍していたうえに、その1人であった竹下光郎捕手)が、巨人(読売ジャイアンツ)からの移籍をきっかけに急速に伸びてきたから」という旨のコメントを生前に残している[3]。後に入社したABCは近鉄の地元局で、近鉄の公式戦を関西圏の球場で組まれていたビジターゲームを含めて定期的に中継していたため[4]、本人も近鉄戦の中継で数多く実況を担当していた[5]1971年9月9日には、日生球場での対西鉄ライオンズ戦で、近鉄の鈴木啓示無安打無得点試合(ノーヒットノーラン)を達成した瞬間を実況した。当初はこの試合の中継予定がなく、安部は野球実況を練習するつもりで日生球場の放送席に座っていた[注 2]。しかし、大記録達成の可能性が生じたことから、急遽ラジオで実況を任されたという[6]

近鉄がパシフィック・リーグ(パ・リーグ)優勝の可能性をレギュラーシーズンの最終盤まで残していた1988年には、10月19日川崎球場で組まれていたロッテ・オリオンズとのダブルヘッダー(いわゆる「10.19」)において、第2試合のテレビ中継で実況を担当した。9回表2死2塁で、近鉄の新井宏昌が三塁線へ放った痛烈なゴロをロッテの三塁手・水上善雄が好捕したところ、「止める!水上!This is プロ野球!まさに、打ちも打ったり新井!よく止めた水上!白熱のゲームが、好プレーを演出!」と絶叫した。この中継はABCの制作で一部のテレビ朝日系列局でも放送していたが、試合開始の当初は途中経過を自社制作の生放送番組(『パオパオチャンネル』と『ニュースシャトル』)で伝えるだけだったテレビ朝日が、視聴者からの要請を受けて途中から全国ネットの放送に切り替えていた(切り替えに至るまでの経緯については当該項で詳述)。9回表の時点では『ニュースステーション』の放送枠内で中継されていたため、近鉄による逆転優勝の可能性が(当時のパ・リーグにおける試合時間の制限規定にともなう)延長10回の引き分け(4対4)によって消滅したこと[注 3]と相まって、安部の名が「This is プロ野球!」のフレーズと共に全国で一躍知られるようになった[注 4]

プロ野球中継の実況では、テレビ・ラジオを問わず、「ビシッ!」「ガツーン!」「ドカーン!」といった擬音を多用していた。ABCに在職していた1994年には、テレビゲーム実況パワフルプロ野球'94』(コナミ発売)で、「スポーツゲームの実況」というアナウンサー初の試みに挑戦した。以降も上記の擬音を交えながら、長期にわたって同シリーズ(パワプロシリーズ)の実況を担当した[注 5]。その一方で、1995年1月16日の深夜からABCの本社で宿直勤務に就いていたところ、翌17日の早朝(5:46)に阪神・淡路大震災が発災した。ABCでは当時2人のアナウンサーによる宿直体制を常時講じていたが、同局の放送対象地域である阪神間兵庫県)を中心に甚大な被害が生じていたことを受けて、安部はテレビ向けの取材や中継リポートを急遽任された。

その一方で、若手アナウンサー時代には『ABCヤングリクエスト』(金木が担当していたラジオの深夜番組)のパーソナリティになることを志望した。厳格な制作方針の下でABCの男性アナウンサー向けに実施されていた社内オーディション(当該項で詳述)に何度も挑んだものの、結局はパーソナリティへの起用を見送られている[7]。もっとも、深夜帯以外の時間帯では、『空からこんにちは~トヨタ・ウィークエンド・パトロール~』などのラジオ番組でパーソナリティを担当した。ラジオでは1990年代の後半から、自身の愛称(「アベロク」)をタイトルに冠した生ワイド番組(『アベロクのOH!まっぴるま』『アベロクのどんまいサンデー』など)のパーソナリティを任されていたほか、一時は放送開始のアナウンスも担当していた。

2005年の誕生日でABCの定年(60歳)に到達した。定年後も嘱託社員(ラジオ局のコメンテーター)として『アベロクのどんまいサンデー』への出演を続けたが、2006年3月31日にABCを退職した。ただし、退職後もフリーアナウンサーとしてABCのラジオ番組に出演した。講演活動なども展開していた。

2007年に病に倒れてからは療養生活を送っていたが、2017年4月6日に胃がんで死去した[8]。71歳没。ABCでは4月10日に、安部の先輩アナウンサーであった道上洋三が、『おはようパーソナリティ道上洋三です』(ABCラジオ)の放送中に訃報を紹介した。「私より早く逝ってしまいました……」という言葉で、安部の死去を悼んだ[8]。同日午後には『上泉雄一のええなぁ!』(MBSラジオ)の「知ってええなぁ! ちなみNEWS」のコーナーでも、安部の訃報を紹介した。スポーツアナウンサー出身の上泉雄一毎日放送アナウンサー)と、近鉄の内野手として「10.19」を川崎球場のダッグアウトで見届けた金村義明[注 6]野球解説者)が安部との思い出を語った。

なお没後の2018年には、生前に収録された安部の実況音源が『実況パワフルプロ野球2018[注 7]に採用された[注 8]。また、同年には朝日放送ラジオ(旧朝日放送からラジオ放送部門を承継した会社)が、平成30年度芸術祭参加作品として『 「10.19」~7時間33分の追憶~』というドキュメンタリー番組を制作。「This is プロ野球!!」のフレーズをはじめ、「10・19」第2試合テレビ中継における安部の実況を収録した音源が随所に盛り込まれた。この番組は、11月18日の本放送を経て、2019年の日本民間放送連盟賞・ラジオ報道部門の優秀賞[9]や、第56回(2018年度)ギャラクシー賞・ラジオ部門の選奨を受賞した[10]

過去の出演番組 編集

ABC時代-フリー 編集

  • ABCラジオショッピング 〜早起きはロク文の得〜(ラジオ)

ABC時代 編集

テレビ 編集

ラジオ 編集

主な出演ゲームソフト 編集

関連人物 編集

ABCアナウンサー時代の同僚
ABCアナウンサー時代の主な共演者

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 在籍当時は、認定放送持株会社移行前の旧・朝日放送株式会社
  2. ^ この当時、各放送局の若手アナウンサーがプロ野球の実況のマイクロフォンに立つことはない時代であった。
  3. ^ この結果、当日に試合が組まれていなかった西武ライオンズの優勝が決定。
  4. ^ 『ニュースステーション』では9回表の終了後に提供クレジットとスポンサーのCMを挿入していたが、その前にメインキャスターの久米宏が、「This is ニュースステーションでございます。『ニュースステーション』ではこのまま9回裏まで(ロッテ対近鉄戦の中継を)お送り致します。そして、延長戦の場合には13回まで行きます(当時のパ・リーグ規則では延長は12回まで、または4時間を経過した場合には新しいイニングに入らないとされていた。CM明けに久米が延長は12回までと訂正をしていた)」という表現で視聴者に断りを入れていた(実際には延長10回の末に4 - 4のスコアで時間切れの引き分け)。
  5. ^ 1995年2月に発売された『実況パワフルプロ野球2』で当時の同僚アナウンサー・太田元治が実況を務めるなど、シリーズ作品の一部では別の人物が実況を担当。
  6. ^ 当時は近鉄のレギュラー三塁手であったが、3試合前にスライディングで骨折したため出場選手登録を抹消。NPBでは抹消期間中に催される一軍公式戦へのベンチ入りを認めていないため、第1試合を三塁側の記者席で観戦したが、近鉄首脳陣の計らいで、第2試合では近鉄(三塁)側のダッグアウトに入っていた。
  7. ^ 安部と同じく朝日放送のスポーツアナウンサーだった平岩康佑が、後継会社の1つである朝日放送テレビからの退職(2018年6月)を機に、「eスポーツキャスター」としてテレビCMに出演。
  8. ^ ただし、一部の選手名のコールを割愛。

出典 編集

  1. ^ a b c 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、251頁。NDLJP:12276264/126 
  2. ^ 元朝日放送アナ・安部憲幸さん死去 パ・リーグ伝説の“10・19”実況”. SANSPO.COM(サンスポ) (2017年4月11日). 2019年12月10日閲覧。
  3. ^ a b c 『実況パワフルプロ野球'94攻略ガイドブック』(1994年、小学館発行。書籍コード:ISBN 4091024726)掲載のインタビュー記事。
  4. ^ ABCでは、バファローズの親会社であった近畿日本鉄道が、安部の入社前から大株主に名を連ねている。
  5. ^ 阪神戦についてもテレビ・ラジオともに対巨人戦を中心とした全国中継を含めて相当数担当した。
  6. ^ ベースボールマガジン社「さらば大阪近鉄バファローズ」より
  7. ^ 『ABCラジオ本』(2023年、三才ブックス)第1章「パーソナリティかく語りき 三代澤康司」p.50を参照。三代澤はABCにおける安部の後輩アナウンサー(同書の刊行時点ではフリーアナウンサー)で、旧法人時代の1984年に入社したものの、安部と同様に『ABCヤングリクエスト』(1986年9月終了)のパーソナリティへ起用されなかった。
  8. ^ a b “元ABCアナ安部憲幸さん死去 伝説の「10.19」や「パワプロ」実況”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2017年4月10日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/04/10/kiji/20170410s00041000172000c.html 2017年4月10日閲覧。 
  9. ^ 2019年日本民間放送連盟賞 ラジオ報道部門
  10. ^ 第56回(2018年度)ギャラクシー賞受賞作

外部リンク 編集

※過去にABC公式サイト内で掲載されたプロフィールページの保存キャッシュ一覧(インターネットアーカイブより)