「ウィリアム・フォーブス=センピル」の版間の差分

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1939年に[[第二次世界大戦]]が勃発すると、センピルは[[海軍本部 (イギリス)|海軍本部]]で航空資材部門の地位を与えられた。これにより彼は、最新のイギリス航空機に関する敏感で秘密の情報にアクセスできるようになった<ref name=Indp1173730/>。
 
1940年8月2日に公安課は、[[三菱商事]]のロンドン支局長[[槙原覚]]をスパイ活動の容疑で検挙した。<ref name="Rudlin"></ref><ref name="Osaka">{{cite news |title=三菱商事三井物産支店長ロンドンで逮捕さる |url=http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10169792&TYPE=HTML_FILE&POS=1 |accessdate=13 August 2019 |work=www.lib.kobe-u.ac.jp |publisher=大阪朝日新聞 |date=4 August 1940}}</ref><ref>{{cite news |language=en |title=Japanese Detained Under Defence Laws In London |url=http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19400804-1.2.15 |accessdate=13 August 2019 |work=The Straits Times |date=4 August 1940 |page=1}}</ref><ref>{{cite news |title=Japanese roundup by British protested |url=https://www.newspapers.com/clip/21195135/japanese_roundup_by_british_protested/ |language=en |accessdate=13 August 2019 |work=Baltimore Evening Sun |date=3 August 1940 |page=1}}</ref> このことを知り、センピルは電話をかけ、パディントン警察署を訪問して、警察に槙原は無実であると保証しその人となりを受け合った。数日後の8月5日に「証拠不足」ということで釈放された。<ref>{{cite news |title=England releases one arrested Jap |url=https://newspaperarchive.com/kannapolis-daily-independent-aug-06-1940-p-1/ |accessdate=13 August 2019 |work=Kannapolis Daily Independent |date=6 August 1940 |language=en}}</ref><ref name=BBC2FoSGB/><ref name="Rudlin">{{cite book |last1=Rudlin |first1=Pernille |title=The History of Mitsubishi Corporation in London: 1915 to Present Day |date=2014 |publisher=Routledge |isbn=9781135127404 |page=53 |url=https://books.google.co.jp/books?id=DxIiAwAAQBAJ&pg=PA53&lpg=PA53&dq=Makihara+Satoru+Mitsubishi&source=bl&ots=wujJ6oyZsJ&sig=ACfU3U3yswrVmYhHCHCwWeGdDVo31jeHcg&hl=en&sa=X&ved=2ahUKEwiwza7Zsv_jAhWVuHEKHU5jB_8Q6AEwAHoECFMQAQ#v=onepage&q=Makihara%20Satoru%20Mitsubishi&f=false |accessdate=13 August 2019 |language=en}}</ref>
1941年6月までに保安局は、ロンドンと三菱、そして東京の間で、センピルに対して報酬が支払われていることを示唆する情報がやり取りされているのを傍受した。「我々のロンドン駐在武官にとってのセンピル卿の利用価値を考えれば、報酬を支払い続けるべきである」<ref name=Indp1173730/> さらなる調査の末、保安局はセンピルが[[艦隊航空隊]]の航空機に関する極秘情報を渡していると疑うようになった。この問題は[[司法長官|法務長官]]および{{仮リンク|公訴局長官|en|Director of Public Prosecutions}}に回された。しかしまたも法務長官は、訴追に反対した。1941年9月5日にセンピルは{{仮リンク|第五海軍卿|en|Fifth Sea Lord}}との会合に出席し、個人的に厳しい警告を受けた<ref name=Indp1173730/>。
 
1941年6月までに保安局は、ロンドンと三菱、そして東京の間で、センピルに対して報酬が支払われていることを示唆する情報がやり取りされているのを傍受した。「我々のロンドン駐在武官にとってのセンピル卿の利用価値を考えれば、報酬を支払い続けるべきである」<ref name=Indp1173730/> さらなる調査の末、保安局はセンピルが[[艦隊航空隊]]の航空機に関する極秘情報を渡していると疑うようになった。この問題は[[司法長官|法務長官]]および{{仮リンク|公訴局長官|en|Director of Public Prosecutions}}に回された。しかしまたも法務長官は、訴追に反対した。1941年9月5日にセンピルは{{仮リンク|第五海軍卿|en|Fifth Sea Lord}}との会合に出席し、個人的に厳しい警告を受けた<ref name=Indp1173730/>。
1941年に公安課は、マカハラと呼ばれる日本人ビジネスマンをスパイ活動の容疑で検挙した。この日本の大企業の代表が拘束されていることを知り、センピルは電話をかけ、パディントン警察署を訪問して、警察にマカハラは無実であると保証しその人となりを受け合った。この男は2日後に釈放された<ref name=BBC2FoSGB/>。
 
センピルはまた、イギリス政府に関する詳細な情報をおそらく渡していた。1941年8月に、[[ニューファンドランド島]]沖の戦艦[[プリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)|プリンス・オブ・ウェールズ]]艦上で、イギリスの[[ウィンストン・チャーチル]][[イギリスの首相|首相]]とアメリカの[[フランクリン・ルーズベルト]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]が日本の軍事的脅威について議論する会合を持った<ref name=BBC2FoSGB/>。その直後にロンドンの日本大使館と東京の間での通信が、この頃に本格的な活動をしてした[[ブレッチリー・パーク]]にある[[政府暗号学校]]の暗号解読部隊によって傍受された。解読された通信文は会議の記録であった。これがチャーチルに渡されると驚いて、「きわめて正確なものだ」とした<ref name=BBC2FoSGB/>。3か月後、チャーチルの個人的な予定や側近に関する多くの情報がロンドンの日本大使館から東京の外務省へ送られているところが傍受された。チャーチルと[[アンソニー・イーデン]]は個人的に相談し、こうした情報漏洩源となりうるのは2人だけであると結論付けた。それはマクグラス司令官とセンピル卿であった<ref name=BBC2FoSGB/>。