「ペロンヌ (ソンム県)」の版間の差分

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929年、[[シャルル3世 (西フランク王)|シャルル3世]]は捕われの身のままペロンヌのダンジョン内で死んだ。1151年までのペロンヌはコミューンとして機能したが、12世紀の[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]時代に塔を備えた城が築かれた。それは堀で囲まれ、落し格子門で入り口が守られていた。
 
1468年10月10日から14日まで、[[シャルル (ブルゴーニュ公)|シャルル突進公]]は城に閉じ込めていた[[ルイ11世 (フランス王)|ルイ11世]]に{{仮リンク|ペロンヌ条約 (1468年)|label=ペロンヌ条約|en|Treaty of Péronne (1468)}}への署名を強要した。
 
1536年、[[神聖ローマ皇帝]][[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]はペロンヌを包囲したが占領に失敗した。マリー・フレことカトリーヌ・ド・ポワ([[:fr:Catherine de Poix|fr]])は、城壁の最上部にいたスペイン兵士を投げ落とし、都市を守った。