「チリ・クーデター」の版間の差分

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とはいえ、対チリ秘密工作を統括していた国家安全保障問題担当大統領補佐官[[ヘンリー・キッシンジャー]]は野党に対する資金援助も続けた。とりわけ、チリ最大野党であったキリスト教民主党の右派(フレイ派)には莫大な資金を投入していた(党の指導部に資金を渡したのではなく、右派の個々のメンバーに直接渡した<ref name=":0" />)。その結果、1970年の大統領選挙当時は左派が支配権を掌握していた同党は右派が支配するようになり(数の上では左派の方が多数派だった<ref name=":0" />)、アジェンデとの協力を拒否して軍事クーデターを支持するようになった。同党右派は、クーデター後には軍は自分たちに権力を譲るものと信じていたからだ<ref name=":0" />。そしてキリスト教民主党は1973年8月22日、アジェンデ政権を違憲とする決議案を下院で可決させた。これによりチリ軍部はクーデターの正当性を得ることになった。
 
[[1973年]][[6月29日]]には軍と反共勢力が首都サンティアゴの大統領官邸を襲撃するが失敗した({{仮リンク|タンキタソ|es|Tanquetazo|en|Tanquetazo|label=戦車クーデター}})。このクーデター未遂事件は、軍内部でクーデター派が勢力を増しつつある一方で、まだ機が熟していないことを示していた。そして8月、シュナイダー将軍の後任で、やはり「軍は政治的中立を守るべし」という信念の持ち主であった{{仮リンク|カルロス・プラッツ|en|Carlos Prats|es|Carlos Prats}}陸軍総司令官(その後国防相も兼任していた)が軍内部の反アジェンデ派に抗し切れなくなり辞任に追い込まれたことで、軍部のクーデターの動きに対する内堀が埋められた状態となる。プラッツの後任の陸軍総司令官がアウグスト・ピノチェトであった(8月24日就任)。ピノチェトはプラッツの推薦により陸軍総司令官に選任された。この段階では、アジェンデもプラッツもピノチェトを信頼していた<ref name=":0" />。
 
=== クーデター ===