「信託統治」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
58行目:
*アメリカが施政権者。委任統治時代の受任者は[[大日本帝国|日本]]であったが、第二次世界大戦で日本が敗戦国となったためアメリカに受任者が変更された。
*前項の「戦略地区」に指定された唯一の地区であり、アメリカ合衆国が拒否権を持つ[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会]]の管轄下に置かれ、アメリカの軍事的利用が認められていた。
*アメリカは当初、この地域を一括して'''ミクロネシア連邦'''として独立させる計画で、1965年には住民自治立法機関であるミクロネシア議会を設立した。しかし、マリアナ地区(グアム島を除くマリアナ諸島)が1978年1月9日に米国自治領(自由連合州)の'''[[北マリアナ諸島|北マリアナ諸島自治連邦区]]'''となり分離。残った各地域では、同年起草の「ミクロネシア憲法」草案が住民投票に掛けられた際にマーシャル地区・北マリアナ地区・パラオ地区がこれを拒否したため、太平洋諸島は4地域に分かれることとなった。
*19681986年、アメリカと[[自由連合盟約]]を結んだ上で[[10月21日]]に'''[[マーシャル諸島共和国]]'''が独立。同年[[11月3日]]に'''[[ミクロネシア連邦]]'''(当初計画のものと別)が独立した一方で、北マリアナ地区は[[コモンウェルス (米国自治連邦区)|自治領]]としてアメリカ領にとどまることを決定し、'''北マリアナ連邦'''(現・[[北マリアナ諸島|北マリアナ諸島自治連邦区]])となった。パラオ地区は1981年に発布した非核憲法により自由連合盟約承認に時間を要しが遅れ、[[1994年]]10月1日になって'''[[パラオ|パラオ共和国]]'''として最後に信託統治領から独立した。
 
== 脚注 ==