「ハイチ」の版間の差分

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== 政治 ==
{{Main|{{仮リンク|ハイチの政治|en|Politics of Haiti|fr|Politique en Haïti}}}}
[[ファイル:Palacio presidencial de Haiti.jpg|thumb|220px|right|[[ポルトープランス]]の大統領宮殿(2010年の地震で倒壊)。]]
 
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<!--http://www.chunambei.co.jp/haiti-inf.html-->
 
{{MainSee also|ハイチの国際関係|en:Foreign relations of Haiti}}
 
ハイチは[[中華民国]]([[台湾]])を承認している。
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== 経済 ==
{{Main|{{仮リンク|ハイチの経済|fr|Économie d'Haïti|en|Economy of Haiti}}|ハイチにおけるコーヒー生産}}
[[ファイル:Waste dumping in a slum of Cap-Haitien.jpg|thumb|220px|left|[[カパイシャン]]の[[スラム]]。]]
 
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[[20世紀]]初頭には[[闘鶏]]も人気のあるスポーツであるとの報告がされていたが、報告後から衰退の一途を辿っている<ref>Kelsey, p. 120。</ref>。
 
=== 絵画芸術 ===
{{Main|ヘイシャンアート|en:Haitian art}}
ハイチの[[芸術]]は[[絵画]]に特化した面を持ち合わせている。[[アンドレ・マルロー]]がハイチ絵画を絶賛したように、20世紀においてハイチの絵画は、第一次世界大戦でヨーロッパが没落した後の、新たに創造的な美術であるとみなされてきた。絵画のジャンルにはハイチの日常生活を描くもの(生活描写派)、ヴードゥー教の儀式を描くもの(ヴードゥー派)、ハイチの歴史を描くもの(歴史画派)などが存在し、独特の色遣いと表現形式により、ハイチ絵画は世界的に高い評価を受けている。
 
1943年にハイチを訪れたアメリカ合衆国出身の[[デウィット・ピータース]]は、英語教育の傍らハイチ美術の支援に努め、ハイチにサントル・ダール(アート・センター)を設立した。ピータースとサントル・ダールの活動により、それまで注意を払われなかったハイチの美術に焦点が当たり、[[ペティオン・サヴァン]]、[[エクトール・イッポリト]]、[[フィロメ・オバン]]、[[リゴー・ブノワ]]、[[カステラ・バジル]]など、ハイチの名だたる画家たちの個展が国外で開かれるようになり、ハイチ美術全体の活性化に大きく寄与することとなった。サントル・ダール周辺で活躍した人々はヘイシャン・アートの第一世代を築いた。