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歌志内市上唄の炭鉱長屋で生まれる<ref name=taka>「芥川賞作家・名誉市民 高橋揆一郎さん逝く」歌志内市、hotnews、7頁。</ref>。歌志内小学校卒業後、[[北海道庁]]の給仕をしながら、庁職員養成を目標とした[[札幌市]]の私立昭和中学校(夜間・廃校)を卒業<ref>「「村の子供」発刊80周年・木村文助没後55年記念講演会」大野文化財保護研究会「木村文助先生の綴り方指導」7頁。</ref>。
 
卒業後、母校の歌志内小学校で[[代用教員]]を2年間勤めるも退職、[[北海道第一師範学校]](現・[[北海道教育大学]]札幌校)に進学するも中退し、[[住友石炭鉱業]]上歌志内砿に入社<ref name=uta /><ref name=taka />。1970年に退社した後、時事漫画を中心としたイラストレーターの傍ら「くりま」で小説の同人活動を続け、1971年「3年間だけ小説を書かせてくれ」と妻に頼み込み、執筆活動に集中<ref name=taka />。『仮寓の半生』を「炭労文学」に、『すかんぽ』を[[北海道新聞文学賞]]に投稿<ref>[http://prizesworld.com/akutagawa/jugun/jugun79TK.htm 高橋揆一郎]</ref>。
 
1973年、『ぽぷらと軍神』で[[文學界新人賞]]を受賞してデビュー<ref name=uta />。出版社に『坑夫伝吉』という小説を送るも「主人公を女にしてはどうか」と提案され『観音力疾』を執筆、同作が1977年に北海道新聞文学賞を受賞、また[[芥川龍之介賞|芥川賞]]候補にもなった<ref>[http://kai-hokkaido.com/novel001/ 没落した炭鉱町に漂う人間の情念] [[合田一道]]文、牧歌移動マガジンKAI、2019年10月3日閲覧。</ref>。