「日本人のノーベル賞受賞者」の版間の差分
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文学賞では、読売新聞が2012年3月にノーベル委員会のペール・ベストベリー委員長に取材し、「[[安部公房]]は急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。非常に、非常に近かった」「[[三島由紀夫]]は、それ(安部)ほど高い位置まで近づいていなかった。[[井上靖]]が、非常に真剣に討論されていた」といったコメントを得たことを報じた<ref>[http://web.archive.org/20120325174007/www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120323-OYT1T00710.htm 安部公房は受賞寸前だった…ノーベル委員長語る]YOMIURI ONLINE2012年3月23日</ref>。このコメントと上記の守秘義務との関連は不明である。[[ドナルド・キーン]]は、ベストベリー委員長が三島由紀夫について、安部ほどは受賞に近づいていなかったと指摘したことについては、「スウェーデン人で国連事務総長を務めた[[ダグ・ハマーショルド]]が『[[金閣寺 (小説)|金閣寺]]』を高く評価することをスウェーデン・アカデミーに伝えており、その推薦は軽視されないということだった。受賞に大変近かったはずだ」と同記事内で述べている。[[2014年]]1月3日、三島由紀夫が1963年度のノーベル文学賞の有力候補6人の中に入っていたことが公式発表された<ref>[http://www.nobelprize.org/nomination/literature/1963.html Candidates for the 1963 Nobel Prize in Literature](英語)</ref><ref name="kyoudo3">[http://img.47news.jp/PN/201401/PN2014010301001094.-.-.CI0003.jpg]「三島、63年ノーベル賞候補 最終6人に残り、あと一歩」(共同通信 2014年1月3日付)[http://www.47news.jp/CN/201401/CN2014010301001074.html]</ref>。6人の中には、三島の他に[[サミュエル・ベケット]]らがおり、その後3人に絞り込まれた際に三島は外れた<ref>「三島ノーベル賞目前だった」([[読売新聞]] 2014年1月4日号に掲載)</ref>。1963年度の選考資料によると、委員会がドナルド・キーンに日本の作家についての評価を求めていたことが分かった<ref name="nenko">[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150401/k10010034631000.html ノーベル文学賞 キーン氏に評価尋ねる](NHKニュース 2015年4月1日付)</ref>。当時キーンは、実績を重視し、年齢順に「谷崎潤一郎(76歳)、川端康成(63歳)、三島由紀夫(38歳)」の順で推薦したが、本心では「三島が現役の作家で最も優れている」と思っていたとし、それでも三島よりも谷崎と川端を高く評価したのは、[[年功序列]]を意識する日本社会に配慮したからだと説明して、「日本人の中には三島はまだ若いと考える人もいて、もし谷崎と川端を差し置いて受賞すれば、日本の一般市民は奇妙に感じるのではないかと考えた」と2015年4月に明らかにした<ref name="nenko" />。
ほかに、
=== ノーベル賞候補者となった人物 ===
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