「秦公1号墓」の版間の差分

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墓上建築、景公説に出典
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== 概要 ==
[[雍城遺跡]]の南の三畤原で発見された。墓の平面形は中字型で、墓の全長は300メートル、深さは24メートル、総面積は5334平方メートル。墓室内の主室は、柏あるいは松の角材を木口積にした[[黄腸題湊]]で構築されていた。柱穴排水管瓦がみつかっており、かつては墓の上に建物があったと推定される<ref> 飯島武次「[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/38519/ 春秋戦国時代秦王陵の被葬者と変遷]」、189頁。</ref>。
 
墓は何度か盗掘に遭っていたが、金器・銅器・鉄器・石磬・漆器・絹織物・土器・玉器など3000点以上の遺物が出土した。出土した[[磬|石磬]]からは、「天子匽喜、龔𧻚是嗣。高陽又霊、四方以鼏平(天子匽(宴)喜し、龔(共)𧻚(桓)これを嗣ぐ。高陽霊又(り、四方以て鼏(宓、やすらか)なり」の銘文が確認された。このことから、被葬者は秦の[[共公 (秦)|共公]]と[[桓公 (秦)|桓公]]の後を継いだ景公であるとみられている<ref> 飯島武次「[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/38519/ 春秋戦国時代秦王陵の被葬者と変遷]」、189 - 190頁。</ref>。
 
== 脚注 ==