「リンゴ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m 114.186.27.250 (会話) による版を Nnh による版へ巻き戻し
タグ: 巻き戻し
30行目:
 
=== 英語名 ===
英語の"apple"はしばしばリンゴだけではなく果物全般を指す。たとえば[[パイナップル]] ("pineapple") は「松の果実」という意味であり、リンゴとは直接の関係がない
 
== 植物学上の特徴 ==
原産地は[[北部コーカサス]]地方が有力視されている<ref name=murahata>村端五郎、[http://hdl.handle.net/10126/2996 Apple -その「実」と「名称」をめぐって-] 国際社会文化研究 2006/12/31, {{hdl|10126/2996}}</ref><ref name="kudamono200">{{Cite web |url= http://www.kudamono200.or.jp/dictionary/08_ringo.html |title=りんご くだもの辞典 |publisher=うるおいのある食生活推進協議会 |accessdate=2017-02-07}}</ref>。リンゴは7500以上の品種が栽培されており、[[亜寒帯]]、[[亜熱帯]]および[[温帯]]で栽培可能である。暑さに弱いため、[[熱帯]]での栽培は難しい。リンゴの木は落葉高木で、晩春頃に白い5弁花が開花する。
 
リンゴの果実は直径約3-15 [[センチメートル|cm]]、重さ約35-1000 [[グラム|g]]。外皮の色は[[赤]]や[[黄緑]]または[[黄色]]をしている。熟すると[[ヘプタコサン]]を含んだ[[蝋]]状の分泌物に覆われる。果肉は淡黄色-白色の品種が多い。外皮近くなど果肉が赤-ピンク色になる赤肉系の品種もある。以前、こうした赤肉系の品種は渋みが強く生食に向かなかったが、2010年代になると日本では生食でも美味な赤肉系が[[品種改良]]により相次ぎ生み出された。[[弘前大学]]([[青森県]])の「紅の夢」「HFF60」「HFF33」、[[農業・食品産業技術総合研究機構|農研機構]]の「ローズパール」、[[信州大学]]の「レッドセンセーション」<ref>【食材ノート】果肉赤いリンゴ 生でも/健康志向で機能性注目『[[日経MJ]]』2018年2月12日(フード面)</ref>、青森県[[五所川原市]]の「栄紅」(えいこう)や「レッド キュー」<ref>【仰天ゴハン】中まで赤~いりんご(青森県五所川原市)情熱の花が開く果肉『読売新聞』朝刊2018年10月7日(別刷り・よみほっと)。</ref>などである。
 
リンゴの[[蜜]]は比重が大きいため、水の中に入れると沈む。果実の他の部分は比重が小さいため水に浮かぶ。
<gallery>
Shoot of Apple.JPG|[[種子]]から発芽した[[芽]]
<!--Appletree bloom_l.jpg|リンゴの花-->
Apple_blossoms.jpg|リンゴの花
Early granny smith apples 1.JPG|幼果
Sundown and cross section 2.jpg|果実の断面
</gallery>
 
== 歴史 ==
=== 欧米 ===
[[スイス]]地方の先住民族といわれている湖棲民族の遺跡からはリンゴの化石が発見されており、推定4000年前にはリンゴが栽培されていたと考えられている<ref name="kudamono200" />。[[ヨーロッパ]]に広まったリンゴは、16世紀から17世紀頃にかけてヨーロッパ中部以北各地で栽培が盛んとなり、19世紀中頃にはイギリスが大産地となった<ref name="kudamono200" />。
50 ⟶ 60行目:
 
=== 日本 ===
==== ワリンゴ ====
 
[[ワリンゴ]]が日本へ最初に持ち込まれたのは[[中国]]からと推定されるが、西洋リンゴが西洋から持ち込まれると日本でも西洋リンゴの方が一般的になり、それまでの種は「和リンゴ」などと呼ばれて区別された。
 
63 ⟶ 73行目:
2003年より「[[彦根りんご]]を復活する会」が、全国に残存する和リンゴや野生種を調査し、数十種類の木(数百本)を育て、収穫した果実は[[お盆]]に各地の寺社に奉納している。同じ滋賀県で前述の浅井長政ゆかりの[[木之本町|木之本]]などでも復活・保存の動きがある。
 
==== セイヨウリンゴ ====
初めて西洋リンゴが栽培された例としては、[[文久]]2年(1862年)、[[越前]][[福井藩]]主で幕府[[政事総裁職]]であった[[松平春嶽]]がアメリカ産のリンゴの苗木を入手し、それが[[江戸]]郊外[[巣鴨]]の福井藩[[下屋敷]]にて栽培されていたと残る記録が有名である<ref>『越前松平試農場史』</ref>。またそれより先、[[安政]]元年(1854年)に、アメリカからもたらされた「'''アッフル'''」が[[加賀藩]]下屋敷([[板橋宿]])にて栽培され、翌年に実をつけたために食用とされたことが、当時の加賀藩士の記録<ref>藩主近習の小川仙之助『御参勤御供中日記』</ref>に残っている。藩主([[前田斉泰]])から「小さな餅に塗って食べるように」と言われて近習らはそのようにしていることから、[[ジャム]]にして食したものと思われる<ref>『広報いたばし』2009年3月21日</ref>。
 
69 ⟶ 80行目:
[[明治]]4年(1871年)に明治政府の命を受けた[[北海道開拓使]]次官の[[黒田清隆]]と[[民部省]]の細川潤次郎は<ref name=murahata />、アメリカから「国光など」75品種の苗木を持ち帰り渡島国亀田郡七重村(現・北海道[[七飯町]])の'''[[官園 (開拓使)|七重官園]]'''に植栽した。それが広がり出したのは明治7年(1874年)、[[内務省 (日本)|内務省]]による配布が始まってからになる。現在の日本国内の主なリンゴ産地のほとんどは、七重官園にその起源を求めることができる。これらの生産がようやく軌道に乗ったのは明治20年代とされ、各産地でのその間の栽培定着の苦労を推測することができる。
 
== 生産 ==
<br />{{multiple image
|footer =
|align = right