「桂文治」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
84行目:
なお、7代目の系統のうち上方側の一門は、その前名「文團治」が止め名である(上方本流である文枝系統とは7代目の大師匠で系図が分かれている)。ただし4代目の死後はこの名跡は空き名跡となり、その弟子、[[桂文紅 (4代目)|4代目桂文紅]]の死で嫡流は断絶した。現在7代目の上方での弟子系統は、大きく分けて[[米朝一門]]と[[春団治一門]]・[[露の五郎兵衛一門]]の二系統三派に分かれるが、前者は「米團治」、後者は「春団治」を止め名としている。
 
東京側にも一門がいるが、それは7代目文治門人である[[桂小文治 (2代目)|2代目小文治]]が東京に移籍して一門を形成したため。2代目小文治は上方噺家でありながら東京落語界を二分する一方の勢力である日本芸術協会の副会長になり、その後身の[[落語芸術協会]]には現在も多くの[[小文治一門]]がいる(『[[笑点]]』司会者で有名な芸協会長の[[桂歌丸]]など)。
 
== 8代目 ==