「中国文明」の版間の差分

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大きくは[[黄河文明]]、[[長江文明]]、北方・東北地方の[[草原]]文明である[[遼河文明]]の三つの文明が融合したものである。
 
伝統的な見方によれば、まず[[黄河]]流域で[[粟]]を主作物とする[[農業]]文明が興り、これが自然および地理的な要素の影響を受け、次第に[[水稲]]を主作物とする[[長江]]流域へと移行、発展していった。[[長江文明]]は黄河流域の農業文明を継承、発展した物と思われていた。また、北方草原[[遊牧民族]]と黄河流域の[[農業民族]]は土地をめぐり絶え間なく争い続け、この過程で遊牧文明と農業文明が直接的な交流、融合を得続けた。
 
しかしながら[[三星堆遺跡]]の発見後、[[長江文明]]は[[黄河流域文明]]の継承と発展の結果である”という伝統的な見方には疑問が持たれ始めている。'''中国文明'''の起源は[[黄河]]流域だけではなく、もっとほかに多くの文明がかかわっている可能性が高い。