「全日本F3選手権」の版間の差分

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この状況を打破すべく関西のコンストラクターやチームを中心にF3を日本に導入しようという気運が高まり、有志により日本F3協会が設立された。1978年いっぱいでFJ1300が消滅すると、翌1979年から日本F3協会が「'''日本F3チャレンジカップ'''」を独自で開催。当初はチャンピオンに翌年ヨーロッパで活動できる[[奨学制度]]を設けていた。1981年より[[日本自動車連盟]] (JAF) が追認する形で「'''全日本F3選手権'''」として開催されることになった。
 
大幅な出走台数の減少で危機的な状況に陥った時期もあったが、[[1980年代]]末から[[1990年代]]始め頃は[[バブル景気]]により多種多様な企業がスポンサーとして名乗りを上げたことで、国内外の若手ドライバーのみならず、外国人の経験豊富なドライバーの参戦も相次ぎ、参加台数は40-50台という盛況であった。また、この頃より外国人の有望若手ドライバーの多数参戦もあって、現在に至るまでヨーロッパ各国の選手権にも劣らないハイレベルなものとなっている
 
[[File:2010 All-Japan Formula 3 Championship Motegi round (May) formation lap.jpg|thumb|right|220px|2010年]]
バブル景気崩壊後は多くのスポンサーが離れたことで再び参加台数は減少し、2010年以降の平均参戦台数は20台を下回るなど、現在まで少数精鋭のシリーズという様相を呈している。なお、1990年代から[[2000年代]]にかけてはチャンピオンは主に外国人が獲得していたが、[[2010年代]]に入り日本人ドライバーがチャンピオンを獲得する傾向が続いている。また2010代に毎年のように[[アジア]]諸国のドライバーの参戦も多いあった
 
このカテゴリーで好成績残したドライバーの多くは、日本やヨーロッパの上位カテゴリー(現在は[[スーパーフォーミュラ]]や[[SUPER GT]])やヨーロッパのF3や上位カテゴリー([[フォーミュラ2#FIA F2選手権(旧GP2)|FIA F2選手権]]など)にステップアップしたり、ヨーロッパのF3に参戦している。古くは[[鈴木利男]]や[[鈴木亜久里]]、[[井上隆智穂]]や[[高木虎之介]]など、その後[[フォーミュラ1|F1]]に参戦する日本人ドライバーも多い。
 
外国人ドライバーも、2006年にチャンピオンとなった[[エイドリアン・スーティル]]は翌年よりF1に参戦し、高い評価を得た。また、F3世界一を争う[[マカオグランプリ|マカオGP]]では2007年に[[オリバー・ジャービス]]、2008年に[[国本京佑]]と全日本F3選手権参戦ドライバーが優勝したことにより、他国からも注目を集めている。