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[[画像:Yoshimitsu Ashikaga cropped.jpg|thumb|200px|足利義満]]
[[画像:Yoshimitsu Ashikaga cropped.jpg|thumb|200px|AHOAHOAHOAHOAHOAHOAHOAHOAHAOAHAOAHAOAHOAHAIAHAIAHJAIAHAOAOAHAOASJALOAQQIIWUIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWHWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWUWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWOWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWMMWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW,WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWMUIMWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWMWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWMWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWMWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWMWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWPWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMWW]]
'''鹿苑寺'''(ろくおんじ)は、[[京都市]][[北区 (京都市)|北区]]にある[[臨済宗]][[相国寺|相国寺派]]の寺。[[建物]]の内外に[[金箔]]を貼った3層の[[楼閣]]建築である[[舎利殿]]は'''金閣'''(きんかく)、舎利殿を含めた[[寺院]]全体は'''金閣寺'''(きんかくじ)として知られる。相国寺の山外[[塔頭]]寺院である<ref>[http://www.shokoku-ji.jp/k_about.html 金閣寺とは] 臨済宗相国寺派</ref>。
 
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== 舎利殿(金閣) ==
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鹿苑寺舎利殿(以下「金閣」と表記)の建築形式、間取り等については以下のとおりである。なお、昭和25年に焼失する前の金閣(応永5年([[1398年]])頃完成)と昭和30年に再建された金閣とでは細部に違いがあり、以下の説明は再建金閣についてのものである。
File:Kinkakuji Kyoto, Japan. (10795616574).jpg|焼失前の金閣(再建後と異なり、二層に連子窓がある)
画像:Kinkakuji, 1893.jpg|焼失前の金閣(1893年)
画像:GoldenPavillion1905.jpg|焼失前の金閣をデザインした絵葉書(1905年)
画像:Burned Kinkaku.jpg|焼失直後の金閣(1950年7月2日)
</gallery>鹿苑寺舎利殿(以下「金閣」と表記)の建築形式、間取り等については以下のとおりである。なお、昭和25年に焼失する前の金閣(応永5年([[1398年]])頃完成)と昭和30年に再建された金閣とでは細部に違いがあり、以下の説明は再建金閣についてのものである。
 
金閣は木造3階建ての楼閣建築で、鹿苑寺境内、鏡湖池(きょうこち)の畔に南面して建つ。屋根は宝形造、杮(こけら)葺きで、屋頂に銅製鳳凰を置く。3階建てであるが、初層と二層の間には屋根の出を作らないため、形式的には「二重三階」となる。初層は金箔を張らず素木仕上げとし、二層と三層の外面(高欄を含む)は全面金箔張りとする。三層は内部も全面金箔張りである(床面を除く)。初層と二層の平面は同形同大で、正面5間、側面4間とする(ここで言う「間」は、長さの単位ではなく、柱間の数を表す)。初層と二層は通し柱を用い、構造的にも一体化している<ref>(宮上、1992)、pp.103</ref>。三層は一回り小さく、方3間である。
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* 『古寺巡礼 京都 20 金閣寺・銀閣寺』、pp.124 - 127</ref>
 
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再建金閣は、[[村田治郎]]らの指導で昭和27年から再建に着手し、昭和30年に落慶したものである。焼失前の金閣は明治37年から39年にかけて解体修理が行われていた。再建金閣は、この解体修理時に作成された図面をもとにして、焼失前の建物の構造・意匠を基本的に踏襲している。ただし、焼損部材の調査を踏まえ、旧状に復す形で一部変更された部分もある。
File:Restoration of Kinjakuji in 1955 (2).JPG|修繕の様子(1955年秋)
画像:KinkakuJiDetail.jpg|三層の桟唐戸、[[火灯窓]]、禅宗様高欄
画像:Kinkaku-ji 04.jpg|屋上の鳳凰像
File:Kinkaku-ji 03.jpg|初層内部(宝冠釈迦如来像と足利義満像がみえる)
</gallery>再建金閣は、[[村田治郎]]らの指導で昭和27年から再建に着手し、昭和30年に落慶したものである。焼失前の金閣は明治37年から39年にかけて解体修理が行われていた。再建金閣は、この解体修理時に作成された図面をもとにして、焼失前の建物の構造・意匠を基本的に踏襲している。ただし、焼損部材の調査を踏まえ、旧状に復す形で一部変更された部分もある。
 
もっとも顕著な相違は、焼失前の金閣は三層のみに金箔が残り、二層には全く金箔が残っていなかったが、再建金閣では三層のみならず二層の外面も全面金箔貼りとしている点である<ref>(宮上、1992)、pp.100 - 101</ref>。これは、次のような根拠に基づくものであった。明治時代の金閣の解体修理の後、再使用されなかった二層の隅木(屋根の四隅に用いられる斜材)の部分が別途保存されており、花入れに加工されて別途保存されていた。昭和25年の金閣炎上後は、この花入れ(旧二層隅木の一部)が唯一の焼け残った部材となり、この部材に金箔が押されていたことから、再建金閣では二層も金箔貼りとすることになった。建築史家の宮上茂隆は、もっとも風雨にさらされやすい部材である隅木のみに金箔が残っているのは不自然であるとし、二層には本来金箔は貼られていなかったとする<ref>(宮上、1992)、p.102</ref>。また、焼失前の金閣では二層の東面と西面の中央に[[連子窓]]が設けられていたが、再建金閣では二層の東・西面はすべて壁となっている<ref>(宮上、1992)、pp.101 - 102</ref>。
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[[File:Golden Pavillion 2010 03 29 41.jpg|thumb|200px|金閣(北西から、右手の小建物は「漱清」)]]
[[画像:Rokuonji Sekkatei.jpg|thumb|200px|夕佳亭と南天床柱]]
[[画像:Kinkakuji side pond panorama.jpg|thumb|200px|HOHUF T GFTY68 ,97 B76HT 67VFR4 34安民沢と白蛇の塚]]
[[画像:Kinkaku-ji reflection in pond.jpg|thumb|200px|鏡湖池に映る「逆さ金閣」]]
; 金閣