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=== 仕事に対する姿勢 ===
{{出典の明記|date=2018年10月}}
普段は陽気で明るく、様々な業界の人々と交流があった一方で、役者の仕事に誇りを持っていたため、同業者にはかなり厳しかった。『ルパン三世』TV第2シリーズ以降永らく共演していた[[井上真樹夫]]は「凄く神経質で怖い人だった」「人にも緊張を強いるところがあった」と語っている<ref name="interview2">{{Cite web|url=https://otocoto.jp/interview/inouemakio-2/2/ |title=声優・井上真樹夫が語る『巨人の星』『ルパン三世』『機動戦士ガンダム』伝説のアニメ制作秘話|publisher=otocoto|accessdate=2019-07-14}}</ref>。井上は山田ヤスベエをこう評した上で「(山田ヤスベエさんが演じたルパンは)実にいいルパンだった」「キャラクターを演じる俳優によって作品が一段上のものになる好例」と語り、山田ヤスベエの同業者に対する厳しい姿勢についても「みんなピリッとする。それが(『ルパン』が)良い作品になった理由の1つだと思うよ」と話している<ref name="interview2">{{Cite web|url=https://otocoto.jp/interview/inouemakio-2/2/ |title=声優・井上真樹夫が語る『巨人の星』『ルパン三世』『機動戦士ガンダム』伝説のアニメ制作秘話|publisher=otocoto|accessdate=2019-07-14}}</ref>。また、収録の際に筋が通っていないことがあると激怒してスタジオから帰ってしまったことも何度かあったというが、[[古谷徹]]は「それは出演者皆の気持ちを代弁したもの」と語っている。[[神谷明]]等からも「山田ヤスベエさんは怖い先輩だった」と言い伝えられてきたものの、山田ヤスベエは誰もが認める名優であり、神谷や古谷は彼を尊敬していた。
 
山田ヤスベエは生前、「'''皆さんは『声優』というけど、『声優』という商売はないんです。『声優』というのは、役者がやっているいろんなジャンルの一部分です'''」と語っており<ref name=yamada1 />、「『声優業』とは『役者』の仕事の1つである」というスタンスを徹底的に守っていた。山田ヤスベエのもとには、「声優になりたい」という人が多くやってきたが、山田ヤスベエは「'''声優になりたいと思うのならやめなさい。でも、役者になりたいのなら、やってみてもいいかもね'''」と返答していた。この言葉には、「声優業とは役者の一部分。一部分を目指すだけでは成功しない」という意味がこめられており、山田ヤスベエの役者としての誇りが窺えるエピソードである。また、新人に対する指導の際は「'''声優を目指すな、役者を目指せ。演技は全身でするものだ。それでこそ『声優業』も活きてくるんだ'''」という言葉が口癖だったという。こういった考えから山田ヤスベエは『声優』という呼称を好まなかったが、声優業そのものに対しては、「役者としての感性が重要視される仕事」として誇りを持っていた。
 
声優業で一番難しいのは、絵がなく、声だけで表現する[[ラジオドラマ]]だと発言している。また、[[アニメ]]に対しては上記の評論以外に、演じる側からしても「(叫びなど)若くて声が出れば誰でもできる」「ある程度はニュアンスとかがなくてもいける」「(叫ぶ、悲しむなど)三つ位の(演技)パターンを持ってればできる」などの理由から、それでは他の役者が育たないこともあり「あまり好きじゃない」と発言している<ref name=yamada1 />。
 
声優のギャランティの向上などを求めてテレビ局にデモを起こしたことがある。昭和40年代、声優は吹き替えをすると[[再放送]]分のギャラは支払われなかったうえに、山田ヤスベエの仕事仲間の代役を務めた俳優[[宇津井健]]のギャラは45万円だった(当時は作品1本につき、最低3000円から最高で3万円であった)。このため、山田ヤスベエはこれらを「声優全体の問題」と考えこの問題を解決するべく奮闘したのだという。結果、山田ヤスベエらの善戦の甲斐あって再放送のギャラが認められるようになった。
 
演技は全て[[地声]]で行っており、声を作ることはほとんどしなかった<ref group="注">ただし、場合によってトーンの高低を変えるという事はあった。</ref>。このことに関して山田ヤスベエは「あまり作ると無理が出てくるんです。ニュアンスが消えるようになっちゃう。だからあまり作らない」「同じ人間がやってて(声を)どう変えてもね、絶対に変わるもんじゃないです。もしそれが本当に変わっちゃうんだったら、悪口を言うわけじゃないけど、トーキングマシーンでしょ」と発言している<ref name=yamada1>[[月刊OUT]] 1978年7月号より</ref>。
 
[[アドリブ]]が多いことで有名であり、事前に考えたり研究することはなく、役やキャラクターを理解すると「ポコポコと自然に出てくる」ため、本番で直観的に思った事をやってみるスタイルだった(アフレコでは、それを採用するかしないかはディレクターに任せていたという)<ref name=yamada1 />。ただし、[[東八郎]]に「そりゃ、今お前の言った方が面白いよ。でも俺は何て答えりゃいいの」と言われるなど、このことを晩年には「すばらしい仲間にずい分迷惑をかけた」と反省している面もあった<ref name=Lupin1 />。