削除された内容 追加された内容
Ko99panda (会話 | 投稿記録)
m 見やすくしました→‎脚注
Ko99panda (会話 | 投稿記録)
m 記述を整理追加しました。→‎論語義疏中国における行方
4行目:
[[魏 (三国)|魏]]の[[何晏]]が著した『[[論語集解]]』を基として、[[魏晋南北朝時代]]以来の諸家の注釈、及び自己の注釈からなる。「義疏」とは[[経書]]の注釈に対しての注釈を意味している。当時の学術の風潮により、[[玄学]]または仏教的な解釈の引用も多いが、それらを穏当に論じている。
==論語義疏中国における行方==
『論語義疏』は日本においては伝存する書物として伝わっているが、中国においては失われている。いつ頃失われたかは書籍目録類を参照すると北宋前期王尭臣等の『崇文総目』、南宋前期成立の『群斎読書志』1177年成立の『中興館閣書目』、『遂初堂書目』のそれぞれに記録されているが、南宋後期の『直斎書録解題』には記録されていないことから南宋頃に失われたとされている。<ref>{{髙田宗平|日本古代『論語義疏』|2015|新|塙書房刊|1150023420|塙書房|ref=harv}}</ref>ref>
 
==論語義疏以外の日本にある注釈書==
日本にある論語の注釈書は論語義疏以外に荻生徂徠の『論語徴』伊藤仁斎の『論語古儀』が存在する。『論語義疏』は江戸時代に荻生徂徠の弟子である根本武夷が 足利学校蔵本より発見及び校刻し中国の清王朝で流通していた。ただし、旧貌は無いという説もあり現在においてもテキスト校勘上の問題点がある。荻生徂徠は[[朱子学]]を批判し古代の言語の研究を重視した。<ref>{{伊藤仁斎|『論語古儀』|1829|再刻|文泉堂}}</ref>
 
== 脚注 ==