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[[1979年]]に[[世界遺産]]に登録された旧市街は「アドリア海の真珠」とも謳われる美しい町並みを誇る<ref>{{Cite web |url = https://www.vogue.co.jp/lifestyle/travel/2017-08-09/page/3 |title = ジブリ映画『紅の豚』の舞台とも言われる美しいリゾート地。 |publisher = VOGUE |date = 2017-08-09 |accessdate = 2018-03-11 }}</ref>。アドリア海沿岸でも傑出した観光地であり、多数のクルーズ船が寄港する他、地中海各都市とフェリーで結ばれドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の中心都市となっている。人口は[[2011年]]に行われた国勢調査で42,641である。そのうち、約28,000人はドゥブロヴニク市街に居住している。2001年の国勢調査では[[クロアチア人]]は住民の88.39%を占めていた。
 
ドゥブロヴニクは歴史的に海洋貿易によって栄えた都市で、[[中世]]の[[ラグーサ共和国]]は[[アマルフィ]]、[[ピサ]]、[[ジェノヴァ]]、[[ヴェネツィア]]などと共に5つの海洋共和国に数えられ、アドリア海東側では唯一ドゥブロヴニクのライバルであとなりうる[[都市国家]]は[[ヴェネチア共和国]]だけであった。巧みな外交術と豊富な富に支えられ[[15世紀]]から[[16世紀]]にかけてはとくに発展している。[[1970年代]]、恒久的に戦争による破壊から守るために非武装化されたが、[[1991年]]のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争でセルビア・モンテネグロ勢力によって7ヶ月間包囲([[ドゥブロヴニク包囲]])され砲撃により多大な損害を蒙った。
 
== 歴史 ==