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『'''捜神後記'''』(そうじんこうき)は、中国[[六朝]]時代の陶潜([[陶淵明]])撰とされる[[志怪小説]]集である。『続捜神記』とも呼ばれる。
 
== 概要 ==
10巻。[[干宝]]撰の『[[捜神記]]』のあとを継ぐものとして書かれたと推測されている、奇怪な話、面白い話などの説話 113編を収録している<ref>『欽定四庫全書 子部十二 捜神後記 小説家類二 異聞之属』 1868年。{{Wikisourcelang-inline|zh|搜神後記}}、補遺17則を含め134則収録しているが底本は不明。</ref>。他の志怪小説集と同様、原本は残存していない。
 
撰述者に関しては、『[[隋書]]』[[経籍志]]に陶潜の撰と記されており<ref>『隋書 卷三十三 志第二十八 經籍二』雜伝の条に「搜神後記 十卷 陶潛撰」とあるのが最古の言及とされる。{{Wikisourcelang-inline|zh|隋書/卷33 }}</ref>、それは巻1に『桃花源記』が収録されていることを以て根拠としているが,陶潜没後の年号を記す話が収録されている、また[[魯迅]]などは、陶潜は鬼神の話ごときに心を惹かれる人物ではないから偽作であろうと述べている<ref>{{Wikisourcelang-inline|zh|中國小說史略/第五篇}} 六朝之鬼神誌怪書(上)に「其書今具存,亦記靈異變化之事如前記,陶潛曠達,未必拳拳於鬼神,蓋偽托也。」</ref>。[[塩谷温]]も「晉の陶淵明の撰なりと稱すれども固よりその原撰に非ず。」と断定し、後人の仮託であるとしている<ref>『国訳漢文大成 第十二巻 晋唐小説解題』p.14 [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913008 影印]17コマ 。</ref>。
 
唐、宋代にはどの書目にも言及がないが,[[明]]の[[崇禎]]年間, 蔵書家の[[毛晋]]によって編纂刊行された『[[津逮秘書]]』第155冊<ref>毛晋の書斎名をとって汲古閣本といわれる。明[[万暦]]31年に刊行された『秘冊彙函(ひさついかん)』に含まれていたが、[[天啓 (明)| 天啓]]元年(1621年)の火災によりほとんどの版木が失われた。焼失を免れ毛晋に譲られた17種の版木の中に『捜神後記十巻 晉陶潛撰』等があった。国立国会図書館デジタルコレクション[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2551942?tocOpened=1 影印] 。しかし近年、同じ版木ではないという研究報告もなされている。劉斯倫『『津逮秘書』所収の『秘冊彙函』版について』 2017年慶應義塾中国文学会報 (1), 86-119, 2017-03 [http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AA12810295-20170331-0086.pdf?file_id=131426 pdf]</ref>に収められた。
 
== 日本語訳書籍 ==
* [[前野直彬]]編訳 [[中国古典文学大系]] 24 『六朝・唐・宋小説選』 1968年 [[平凡社]] ISBN 9784582312249 。『捜神後記』は、日本語訳書の中では当時最も多い61則を収録。底本は『[[津逮秘書]]』、[[太平広記]]等で校勘。p.468-469 に『捜神後記』解題を掲載。
* 先坊幸子<ref>センボウユキコ、安田女子大学非常勤講師(当時)</ref>[[森野繁夫]] 編訳 『捜神後記』 2008年 [[白帝社]] ISBN 9784891749194 。底本は『[[津逮秘書#学津討源|学津討源]]』
 
== 注・出典 ==
{{reflist|2}}
{{脚注ヘルプ}}
 
== 関連項目 ==
[[陶淵明]]
[[志怪小説]]
[[捜神記]]
[[津逮秘書]]
 
 
{{DEFAULTSORT:そうしんこうき}}
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