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'''高向王'''(たかむくのおおきみ、[[生没年不詳]]
== 概要 ==
『[[日本書紀]]』巻第二十六の冒頭部
{{要出典範囲|『[[本朝皇胤紹運録]]』によると、高向王は用明天皇の皇子とされている。この場合は[[聖徳太子]]の兄弟となるが、太子関連の記録にはその名前は見えないことから、高向王の父は不明であり、経歴も不明ということになる。のちに斉明天皇となる宝皇女との離別の理由もよく分かっていないが、
{{要出典範囲|その名前から高向[[臣]]が資養にあたったとされ、[[高向国押]]が蘇我本宗家滅亡の際に中大兄皇子に対して軍陣を張ったことなどから、[[蘇我氏]]との関係が深
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考文献 ==
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