「三方楽所」の版間の差分
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古代律令制では[[雅楽寮]]が置かれていたが、しだいに諸家が家芸として独占的に世襲するようになり、律令制度の解体に伴って10世紀に[[蔵人所]]におかれた'''楽所'''(がくそ)に実質が移ることになる。ほぼ同時期に南都や天王寺にも楽所が成立し、これらの楽所に属する楽人らも宮廷に召されて雅楽が行われていた。しかし[[応仁の乱]]を端緒とする動乱によって京都の楽人は四散してしまい、宮廷雅楽は南都や天王寺の楽人らによって細々と行われる程度に衰退する。
[[安土桃山時代]]になると、[[正親町天皇]]・[[後陽成天皇]]などによって
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|家領米||style="text-align: right"|510[[石高|石]]||三方17名ずつ計51名に10石ずつ
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