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また、[[古代ローマ]]の[[ストラボン]]はディオドトスの独立後とその後の繁栄の様子を次のように記している。
{{cquote|バクトリアを離反させたギリシャ人はその肥沃な国土をもって大いに勢力を伸ばし、アリアネ<ref>アリアナ。[[アケメネス朝]]の属領。現在の[[アフガニスタン]]、[[イラン]]東部、[[パキスタン]]西部を含む。</ref>地方と[[インド人|インド族]]を支配するまでとなった、ということはアルテミタのアポロドロス (Apollodorus of Artemita)<ref>紀元前1世紀頃のギリシャ人作家。パルティアの歴史書を書いた。</ref>が述べているところで、征服した部族の数は[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス]]の時を越えた。''<ストラボン『[[地理誌]]』>''}}
 
=== アルサケスとの抗争 ===
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== 参考資料 ==
*[[ポンペイウス・トログス]]([[ユニアヌス・ユスティヌス]]抄録)『地中海世界史』([[京都大学学術出版会]]、[[1998年]]、ISBN 4876981078)
*[[ストラボン]](訳:[[飯尾都人]])『[[地理誌|ギリシア・ローマ世界地誌]]Ⅱ』([[龍溪書舎]]、[[1994年]]、ISBN 4844783777)
 
{{先代次代|[[グレコ・バクトリア王国]]の国王|初代:[[紀元前239年|前239]]/[[紀元前238年|8年]] - [[紀元前234年|前234年]]|―|[[ディオドトス2世]]}}