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ヒロポンの注射薬は[[ドイツ]]から輸入された「暗視ホルモン」と呼ばれ、夜間戦闘機[[月光 (航空機)|月光]]搭乗員として6機もの[[B-29 (航空機)|B-29]]を撃墜した[[大日本帝国海軍|旧帝国海軍]]のエース[[海軍少尉|少尉]]・[[黒鳥四朗]]と[[准士官|飛行兵曹長]]・[[倉本十三]]のペアが、夜間視力が向上するとの事で注射されたと主張しているが<ref>渡辺洋二『重い飛行機雲 太平洋戦争日本空軍秘話』(文春文庫、1999年) ISBN 4-16-724908-1 四十五年目の真実 p9—35 〔初出:文林堂『航空ファン』1996年1月号〕</ref>、戦後に[[GHQ]]に接収された[[海軍航空技術廠]]の資料によれば、「暗視ホルモン」の成分は、牛や豚の[[脳下垂体]]から抽出された[[メラノフォーレンホルモン]]とされ、ナチス・ドイツからの輸入品ではなく日本国内で製造され、[[台湾沖航空戦]]で既に使用されており、ヒロポンとは全く関係のないものである<ref>神野正美『台湾沖航空戦―T攻撃部隊 陸海軍雷撃隊の死闘』光人社NF文庫、2017年、210頁</ref>。
 
ヒロポンは「[[本土決戦]]兵器」の一つとして量産され、終戦時には大量に備蓄されていた。[[日本の降伏|日本の敗戦]]により、一旦は[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]に押収されたが、のちに日本軍の貯蔵医薬品の開放指令により、他の医療品とともにヒロポンも大量に市場に流出した<ref>{{Cite web |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9885453 |title=SCAPIN-389: CUSTODY AND DISTRIBUTION OF JAPANESE MILITARY MEDICINAL NARCOTIC STOCKS 1945/12/04 |publisher=国立国会図書館 |accessdate=2020-02-06}}</ref>。[[酒]]や[[タバコ]]といった[[嗜好品]]の欠乏も相まって、人々が精神を昂揚させる手軽な薬品として蔓延した。その[[薬物依存症]]者すなわち「ポン中」(ヒロポン中毒者)が大量発生し、中毒患者が50万人を超えるなど社会問題となった。加えて、中毒者が行う不潔な[[注射器]]の使い回しは、[[ウイルス性肝炎]]の伝染機会を増加させ、[[輸血後肝炎]]が感染拡大する遠因となった。この時期芸能界にも蔓延し、多くの芸能人が常用していたことが、のちに明らかになっている。当時芸能界で活動した[[コロムビア・トップ]]が、[[参議院]]議員に転身後国会において、ヒロポンが蔓延した当時の芸能界を証言したことがある<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/101/1200/10106261200011c.html 参議院会議録情報 第101回国会 社会労働委員会 第11号]。議事録では本名の下村泰名義で記録されている。</ref>。{{main|覚せい剤取締法#経緯|大日本住友製薬#マルピーマーク商標}}
 
1949年(昭和24年)、[[厚生省]]はヒロポンを[[劇薬]]に指定、製造業者に対し、[[覚醒剤]]としての製造を禁止するよう勧告し、1951年(昭和26年)に[[覚せい剤取締法]]を施行したことに伴い、日本国内では、「限定的な医療・研究用途での使用」を除き、覚醒剤の使用・所持がすべて禁止されている<ref>ここで言う「限定的な医療・研究用途での使用」とは、同法により規定された少数の研究・医療機関への販売や、[[統合失調症]]や[[ナルコレプシー]]の治療等であり、[[日本薬局方]]上は[[処方薬]]([[処方箋医薬品]])の[[覚醒剤]]として残っている。</ref>。{{main|覚醒剤#日本における法規制|覚せい剤取締法#刑罰}}