「クイックモーション」の版間の差分

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一方、巨人も日本シリーズでパ・リーグの盗塁王である[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]の[[福本豊]]を封じるため、クイックモーションを大いに活用した。巨人の正捕手・[[森祇晶|森昌彦]]は、若手の頃にクイックモーションの名手・[[堀本律雄]]投手とバッテリーを組んだ試合では、1960年から1962年の3年間に阻止率.706(51企図に対し36盗塁刺)という驚異的な数字を残し、特に1960年6月1日の大洋戦では一試合5盗塁刺(企図された5回全てを刺す)を記録するなど<ref>『スポーツ報知』2012年1月16日号<9版>2面</ref>、クイックモーションの有効性を肌で知っていた。[[1971年の日本シリーズ]]第1戦の9回裏、1点ビハインドの状況で盗塁を試みた福本は、[[堀内恒夫]]投手・森昌彦捕手のバッテリーに刺され、チームもそのまま敗れた。福本はこれ以降自分の思うように走れなくなってしまったと語っており、結局このシリーズで福本はわずか1盗塁に押さえ込まれ、同じ顔合わせとなった翌[[1972年の日本シリーズ]]でも同様に巨人バッテリーから1盗塁しかできなかった。福本によれば、堀内はどれだけ長くボールを保持していても投球バランスを崩すことがなく、なおかつクイックの動作がとても速かったため、「日本で最も盗塁しにくいピッチャー」だったという<ref>『阪急ブレーブス 光を超えた影法師』35-36頁</ref>。
 
1970年代に入ると、走塁技術の進歩にともない、さらなるクイックモーションの改良が求められるようになっていた。[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]の[[選手兼任監督]]である[[野村克也]]捕手は、投手がモーションに入ってから捕手の[[ミット]]に届くまでに約1.1秒、二塁に送球して走者にタッチするまでの時間を約1.8秒とし、合計約3秒で送球すれば盗塁した走者を刺せると考えていた。野村はヘッドコーチの[[ドン・ブレイザー]]と相談して福本対策のために足をほとんど上げずに投げる「'''すり足クイック'''」を考案した。福本はこの南海式のクイック投法について「モーション自体が小さくて早いのはノムさんの時の南海が最初です。足を上げて投げてくれるとタイミングをつかむのがラクなのに、ほとんどスリ足の状態で放ってくる。思い切ってスタートを切っても殺されるケースが増えました」と語っている<ref>{{Cite web|url=http://www.ninomiyasports.com/archives/5594 |title=野球 : 福本豊「1065盗塁はノムさんのおかげ」|publisher=スポーツコミュニケーションズ|date=2011年11月30日|accessdate=2016年11月28日}}</ref>。[[福本豊#他球団の福本対策]]も参照
 
[[メジャーリーグベースボール]]では{{仮リンク|ディック・ボスマン|en|Dick Bosman}}がスライドステップの創始者とされ<ref name="Bosman" />、1980年代後半にはメジャーリーグの他の投手もスライドステップを使うようになったとされる<ref name="Bosman" />。