「ティレル」の版間の差分

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[[1985年]]は開幕を前年同様、フォードDFVエンジンを積んだ012で迎えるが、シーズン途中から[[ルノー・スポール|ルノー]]ターボエンジンを搭載した014を投入する。このティレルの「ターボ化」により、F1に参戦する全てのマシンがターボエンジン搭載マシンとなり、ターボ・エンジン隆盛の象徴的な出来事となった。しかしティレルの成績はターボ・エンジン獲得後以後も平凡なリザルトが続いた。ドライバーはベロフとヨハンソンで始まったシーズンだったが、ヨハンソンは開幕戦を終えるとフェラーリに引き抜かれ、ベロフはF1と並行して参戦していた[[スポーツカー世界選手権|WEC]]の[[スパ・フランコルシャン|スパ]]1,000kmでのレース中にオー・ルージュでクラッシュし命を落としたため、前年の負傷から復帰したブランドルと[[イヴァン・カペリ]]がティレル014をドライブした。1986年は前年とほぼ変わらぬマシンをブランドルと[[フィリップ・ストレイフ]]が駆り、シーズン途中に改良版である[[ティレル・015|015]]シャシーも投入されたが、最高位は[[1986年オーストラリアグランプリ|最終戦オーストラリアGP]]で記録したブランドルの4位が精一杯であった。
 
[[1987年]]、2年後のターボ・エンジン禁止が決定したことを背景に、ティレルは他チームより先に自然吸気エンジンへ回帰することを決断。フォード・[[コスワース]]・DFZエンジン(3000ccのDFVを3500ccへ排気量アップ)に搭載エンジンを変更した。残留したストレイフと、[[ザクスピード]]から移籍加入した[[ジョナサン・パーマー]]が安定した走りを見せ、自然吸気エンジン搭載車を対象としたドライバーズ([[ジム・クラーク (レーサー)|ジム・クラーク]]カップ)、コンストラクターズ([[コーリン・チャップマン]]カップ)の両タイトルを獲得した。
 
[[1988年]]はストレイフが[[AGS]]へと去ったため、新人[[ジュリアン・ベイリー]]を起用しパーマーとイギリス人コンビとなる。しかし[[ベネトン・フォーミュラ|ベネトン]]や[[マーチ・エンジニアリング|レイトンハウス・マーチ]]などティレルより良いシャシー・デザイナーを擁するチームが自然吸気エンジンに移行してくると、相対的にティレルの成績は下がった。ベイリーは度々予選落ちを喫するなど苦戦の年となった。