「岩本勉」の版間の差分

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{{By|1999年}}から[[登録名]]を「岩本ツトム」に変更した。[[開幕戦]]は[[東京ドーム]]で[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]を相手に3安打で完封勝利を達成した。開幕戦での2年連続完封勝利は、[[パシフィック・リーグ|パリーグ]]では[[稲尾和久]](西鉄)以来37年ぶりの記録。自己最多の13勝を挙げ、2年連続リーグ最多完投を達成した。
 
{{By|2000年}}、3年連続開幕投手を務め、西武の[[松坂大輔]]と投げ合い、6回まで無失点に押さえていたが7回に3失点同点に追いつかれたがる。8回にチームは勝ち越し岩本も8回を3失点で投げぬいた。しかし9回にチームは追いつかれてしまい勝敗は付かなかった。[[シドニーオリンピック]]の日本代表選手候補になるが、負傷を理由に辞退した。同年は24試合に登板したが、6勝12敗、防御率5.21に終わり、以降不振が続き満足な投球ができず徐々に登板機会が失われていった。
 
{{By|2001年}}も負け数が前年と同じ12で勝ち星は7勝にとどまるなど、前年とそれほど変化の見られないシーズンとなった。