「ジャパンプロレス」の版間の差分

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* ジャパンが団体として活動していくに当たり前述のレスリング経験者も含めた新人選手の発掘も力を入れていた。新人第1号となったのが[[佐々木健介]]である。
* ジャパンが団体機能を失った以降も興行会社として存続して全日本との業務提携は形式的に存続していた。[[1987年]]8月31日、全日本との興行契約も打ち切られて数回の[[全日本女子プロレス]]の興行を手掛けた後に興行活動からも撤退。[[1991年]]春、会社は登記抹消されている。
* [[田上明]]のプロフィールは「ジャパンプロレス入団」となっているが、これは当時、[[大相撲]]廃業後すぐに全日本入門を志願したことで(元[[横綱]][[輪島大士]]の全日本入門もあり)馬場が角界の目を気にして取った暫定的な措置である。[[1987年]]8月時点では、ジャパンプロレスは既に団体機能が崩壊しteており、従って籍はジャパンに置いていたが実質的には全日本所属選手だったということになる。
興行会社として存続していた状態であり、従って籍はジャパンに置いていたが実質的には全日本所属選手だったということになる。
 
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