「ノート:満洲国/過去ログ1」の版間の差分

最新のコメント:16 年前 | トピック:表記 | 投稿者:ΑΩ
削除された内容 追加された内容
ノート:満州国 2008年5月25日 (日) 08:10 (UTC) より転記。
(相違点なし)

2020年5月5日 (火) 09:53時点における版

(無題)

背景の部分は少し直したほうがいい。日清・日露はロシアであるし、ソビエトに関してはシベリア出兵なんかをかかなくてはまずいであろう。0null0 12:44 2003年12月17日 (UTC)


傀儡は筆者の政治的立場、とおつしやいますが、傀儡政府であったという指摘があつて、それが多少なりとも流布してゐるのであれば、なぜそれが否定されるべきかを書かないと、中立的な観点から鑑みて、それをただ單に削除するのは互いに政治的立場の主張をしあつてゐることに成りはしないでせうか。私は満州国について詳しくないのでなんとも言へませんが、ただ、内蒙古自治政府を引合ひにするのは獨立國と自治領政府を比べることになつて、その立場の違ひを無視することになつておかしいと思ひます。revertはしません。Kzhr 16:01 2004年2月28日 (UTC)

ノートを書かれている間に戻してしまいましたが、彼はノートに気付くでしょうか。Johncapistrano 16:11 2004年2月28日 (UTC)
ある事実に対する「指摘」を全て織り込むのであれば、百科事典としてなりたちません。たとえば中華人民共和国の建国の歴史を、中華人民共和国政府の立場と中華民国政府の立場でそれぞれ評価した場合には、まったく違う「指摘」がそれぞれ存在するわけです。さらに当時の主要なプレイヤーだけでも、アメリカ合衆国、ソビエト連邦、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国、イギリスその他の立場で違う「指摘」が存在することになります。全て網羅することは不可能です。
kzhrさんの主張を取り入れるのであれば、「満州国は傀儡国家であったか」という項目を立て、その中で紹介すべき議論だと思います。これはぜひお願いします。
内蒙古自治政府の例が不適当とのことですが、内モンゴルは独立国家の体裁さえ与えられていません。その意味で“傀儡国家”満州国以下の境遇にあります。それでも独立国と自治政府が比較にならないということであれば、レバノンとシリア、日本とアメリカなどを例示することが可能でしょう。

以上の署名の無いコメントは、220.159.101.82会話/Whois)さんが[2004年2月28日 (土) 16:25 (UTC)]に投稿したものです。

Johncapistranoさん、わずか10分少々で全文を元に戻すのですか?建設的とは言えませんよね?せめて読んでからにしていただけませんか? 以上の署名の無いコメントは、220.159.101.82会話/Whois)さんが[2004年2月28日 (土) 16:30 (UTC)]に投稿したものです。

建設的でないのはそちらだと思います。Wikipedia:中立的な観点などお読みください。似た編集をされる方は他にもおられるので何度も読んでいます。あしからず。Johncapistrano 16:35 2004年2月28日 (UTC)
できるだけ網羅するやうにするのと、網羅するのが不可能だから削除するのとではぜんぜん違ひます。履違へはいけません。傀儡政權だった説を縮小して、傀儡だった説と傀儡で無かつた説を併記するだけでも大きな違ひがあります。それとあはせて満州国は傀儡であったかどうかは、ご自身でお書きください。
私自身は、日本がアメリカの傀儡であるという説があるのならば、それを書いても構はないと思ひます。理由はやはり、できるだけ多くの見方を記載するのが中立的であると信じるからです。Kzhr 16:43 2004年2月28日 (UTC)

Johncapistranoさん、Kzhrさんとも同じ信念でWikipedia編集に取り組んでおられるようで安心いたしました。私が編集(傀儡関連)を加えた意図は、まさにWikipedia:中立的な観点の精神によります。満州国が傀儡国家であったかどうか、同時代で定まった評価があったわけではありません。少なくとも、当時の満州国政府は認めないことでしょう。全ての議論を網羅するのが不可能だから除外したわけではありません。一方の見方のみが説明なく記載されていたので、事実のみを残すようにしたのです。傀儡国家であったかどうか、中立的に賛否両論を紹介することは私の手には余りますので、識者の登場を待ちたいと思います。 以上の署名の無いコメントは、220.159.101.82会話/Whois)さんが[2004年2月28日 (土) 17:00 (UTC)]に投稿したものです。

まさにとか書いておられますが正反対の事をされているように見えます。読まれましたか?Johncapistrano 17:05 2004年2月28日 (UTC) 追記~~~~で署名ができます。或はログインされては如何でしょうか。
修正をしないでただ消すだけで、事實であると言ふのは、それは欺瞞ではないでせうか。私は先に書いたとほり素人でありますし、議論に見えて議論でないことをするのは時間の無駄ですので、後はお好きになさつてください。Kzhr 17:12 2004年2月28日 (UTC)
IPユーザー氏は「事実のみを残した」とおっしゃっていますが、第三者の目から見ると、どうも主張でしかない内容に置き換えただけ、という印象ですね。すくなくとも、そこに書いてあることを削除しているという時点で何か方向性が間違っていないかと考慮するのが、バランスのとれたやり方ではないかと思います。Sampo 17:15 2004年2月28日 (UTC)

なぜか、私が満州国肯定派(造語ですが含意は通じますか?)と思われているようですね。実際にはそうではありません。「日本の政府・軍の強い影響下にあった。」など、肯定派であれば容認できないような記載でも事実と考えられるものはそのまま残しています。関東軍のようなインテリ愚連隊の弁護をするつもりは、毛頭ありません。 以上の署名の無いコメントは、220.159.101.82会話/Whois)さんが[2004年2月28日 (土) 20:32 (UTC)]に投稿したものです。

傀儡という言葉の最近の実例は、朝鮮中央放送が日本や韓国を指していう「米帝の傀儡」があります。現在の日韓両国の軍事・外交がアメリカの強い影響下にあることはほとんどの方が同意される事実だと思いますが、それを「米帝の傀儡」と言われてしまうと多数の同意は得にくい。それはその言葉が純粋な事実ではない北朝鮮の政治的スローガンだからです。

満州国の場合も基本的には同じ構造であり、傀儡国家という批判は、本来は中国の満州支配、あるいは米英ソの対日戦争の正当性を主張するためのスローガンに過ぎません。(正当性に問題があると言いたい訳ではありません、念為)
満州国の解説に傀儡という言葉を用いるのであれば、その背景についてよほど慎重である必要があります。(逆に傀儡国家の説明に満州国を用いるのは、良い実例だと思います。)

以上を踏まえて事実以外の記述を減らしたのですが、そのために右寄りに振れたように見えたかもしれません。自分の力不足は承知していますので、適宜補っていただければ幸いです。 以上の署名の無いコメントは、220.210.44.159会話/Whois)さんが[2004年2月28日 (土) 20:52 (UTC)]に投稿したものです。

うーん、この版の編集で妥協案を提示したつもりが僕の日本語が下手で逆に論争の種を蒔いてしまったみたいです。すいません。問題の記述を含む版を編集した者の手で、文意が明確になるように改稿してみましたので、この記述で問題があるかどうかよろしくご検討の上議論をすすめていただきたく思います。Safkan 05:12 2004年2月29日 (UTC)

傀儡だろうが、なかろうがrevert合戦は止めて頂きたい。ちなみに私の立場は、傀儡は政治の項にすでに書いているので必要以上に書くことは自虐行為になると考えます。(編者が日本人なら)ロリ 08:32 2004年3月1日 (UTC)

傀儡というところはNPOVだと思いますが、急発達したというところがPOVだと思います。直す気も起きません。理由は直し方が分からないからです(どのような文面にしたらよいか分からない)。--以上の署名のないコメントは、Mh35会話投稿記録)さんが 2004年8月3日 (火) 04:47 (UTC) に投稿したものです。

自分で書かなくてもうしわけないが満蒙開拓団のことは必須事項と思われる。識者の加筆を願う0null0 2004年11月20日 (土) 13:54 (UTC)

公用語は北京語、モンゴル語、日本語。面積は1133437km²で、通貨は圓、角、分です(ちなみに1圓=10角=100分)。 人口は36933206人(康徳4年、1937年)です。時間帯は1936年12月31日までUTC +8、37年1月1日からUTC +9です。解除されたら、どなたか加筆おねがいします。210.174.3.212 2005年2月18日 (金) 05:15 (UTC)


中華民国の立場は、

  • 「満州国は日本の傀儡国家であり、満州地域は中華民国の主権下にあるべき」
  • 「満州国は日本の傀儡政権であり、満州地域は中華民国の主権下にある」

のどちらでせうか。kahusi - (會話) 2004年12月1日 (水) 00:36 (UTC)

建国の背景で満鉄の話が出て来ないのは不自然かと思った。 以上の署名の無いコメントは、211.1.195.251会話/Whois)さんが[2005年1月29日 (土) 19:36 (UTC)]に投稿したものです。

満州の独立を確立させたのは、日本ではなく張作霖

張作霖は、辛亥革命が起こると革命派を次々処刑。中華民国が建国すると中華民国と敵対し、袁世凱が死亡すると同時に、中華民国の東北総監・段芝貴を失脚させ、張作霖は独立勢力を確立する。
そして張作霖の馬賊仲間だった張景恵が独立宣言をした。 以上の署名の無いコメントは、222.147.182.220会話/Whois)さんが[2005年2月18日 (金) 04:34 (UTC)]に投稿したものです。

いきさつは分からないが、記事が保護されています。履歴をみると保護は一ヶ月前。そろそろ解除してはどうか? Hery 2005年2月27日 (日) 02:45 (UTC)

満州国消滅の日について

アジア歴史資料センターの史料、「満州国消滅の日について」レファレンスコード:B02032435800によれば1945年8月19日としています。確かに溥儀の退位宣言は前日に出されているのですが、どうしたものか。220.146.134.222 2005年8月8日 (月) 15:31 (UTC)

そもそも8月18日説の根拠は何でしょうか。溥儀『我的前半生』など中国側関係者の回顧録だと16日退位、17日通化で飛行機搭乗→瀋陽で逮捕、護送→18日チタ着(一日遅くずれているものもあります)というものが多いのですが、史料的に何か結論はついているのでしょうか。そのころの大栗子の状況から考えると、「国務院」の決定をうけて翌日に「退位詔書」朗読というような悠長な手続きがあったとは考えにくいですが。--Novo 2007年1月19日 (金) 03:17 (UTC)

満州民族と満州国

ソ連から中国への項をみると、

> 満州国の崩壊から60年を経た現在では、昔の満州の風俗等の面影は消えつつある。これは中国東北部として中1国の内部に正式に取り込まれた後に大量の漢民族が東北部に植民し、満州民族は完全に少数民族となったことによる。満州民族の文化は今では中国政府から保護すべき対象として扱われている。このように、旧満州の地は風俗的・経済的・政治的にほぼ完全に中国に同化しているといってもよいかもしれない。

とある。この項にこの一文があると、満州民族の漢化は中華民国ないしは中華人民共和国当時に進んだように見えてしまう。だが、実際には清末には漢化は既に進行していたというのが定説のはず。 手近な資料で明記してあるものは乏しいが、リットン調査団の一員として随行したハインリッヒ・シュネー博士の当時の記録に明記されている。(講談社学術文庫『「満州国」見聞記~リットン調査団同行記~』p.93)

また、本記述は「満州族」についての記述であり、「満州国」の記述ではない。

以上2点の事及び同様の記載が「満州族」にもあることから、削除が妥当と考える。Kaba 2005年10月2日 (日) 14:36 (UTC)

訂正依頼

立場性にかかわらない点なので訂正していただきたいのですが、「崩壊」の項目に、「1946年4月11日まで有効だった日ソ中立条約」とありますが、同条約の有効期限は批准の日から5年間とされており、批准は1941年4月25日ですので、有効期限は1946年4月24日までであると思います。 参考:http://www.hoppou.go.jp/library/document/data/19410413.html 以上の署名の無いコメントは、60.39.110.149会話/Whois)さんが[2006年8月10日 (木) 02:45 (UTC)]に投稿したものです。

愛新覚羅溥儀は『我が半生』(原題:我的前半生 - 英語題: The former half of my life)という自伝を1967年に著した。当時の中国は文化大革命の最中であり、監視下に置かれていたため、その内容は十分な文献批判が必要であるが、この本の中で溥儀は東京裁判満州国傀儡であった趣旨の証言を偽証であったとした。 以上の署名の無いコメントは、125.172.79.141会話/Whois)さんが[2006年9月2日 (土) 03:34 (UTC)]に投稿したものです。

表記

スケ」という表記を、「23スケ」か「スケ」に直して欲しい。つまり、インド数字か大字で。 以上の署名の無いコメントは、218.46.195.51会話/Whois)さんが[2005年10月28日 (土) 21:00 (UTC)]に投稿したものです。

「日本の傀儡国家である。」という記述は、傀儡という言葉が大変マイナスな意味での言葉なのでいろいろと異論があるので、「「日本の傀儡国家であった。」という意見が一般的である。」という記述に訂正していただきたい。 以上の署名の無いコメントは、125.175.202.162会話/Whois)さんが[2008年4月3日 (木) 13:40 (UTC)]に投稿したものです。

「傀儡国家ではなかった」という研究があるのですか? 信頼のおける文献でそのような見解を示しているものがあればそういう記述は可能と思われます。--ΑΩ 2008年4月3日 (木) 14:51 (UTC)

事実の誤り

1941年12月8日満州国は日本と同時に宣戦布告したと書いてありますが、このサイトにもあるように宣戦していません。明らかに事実と反するので修正すべきです。--124.147.101.98 2006年11月10日 (金) 00:39 (UTC)

満州国を承認した国々

このテーマ、結構面白いので、一覧を掲載してみようかと思ったのですが、この記事はもう保護されてしまっていましたか。残念。

peace系、あるいはyukarin系の「アラシ」の介入に対しては、「半保護」記事の編集資格を強化して、「ログイン後1か月以上」とすればほぼ防げると思うのですが。提案の機会を伺っているところです。ゆう(matunami) 2006年11月20日 (月) 11:20 (UTC)

なるほどおもしろいですね。でも国というより政権とした方が記載する数が増えると思うんですが、どうでしょう。とにかく保護が解けて加筆されるのを楽しみに待っています。--Tears for Asia 2006年11月22日 (水) 08:31 (UTC)
多数の国からという印象を与えかねないと思いましたので、「枢軸国を中心とした」という表現を加えるとともに一覧にも印をうってみました。ところで、「以下の23ヶ国」とありますが、23ありません。どこを直すべきかはわかりませんでした。M-ogino 2007年3月11日 (日) 08:30 (UTC)

保護解除依頼およびその議論

ここにはすでに「保護が解除されたら編集お願いします」と依頼をしているユーザーの方がおります。その方は保護の解除を待っていると私は受け取りました。その為、このページの保護を解除するのはどうでしょうか?実質当文頭のように、解除を心待ちにしている方もいらっしゃると思うのですが、どう思われますでしょうか?--May.Low 2006年11月23日 (木) 20:45 (UTC)

編集合戦に関係しているユーザのうち、2名が投稿ブロックを受けていますので、同じ編集合戦は起こらないかと。--kahusi (會話) 2006年11月23日 (木) 22:54 (UTC)
了解いたしました。この件を踏まえて当ページの保護者であるMiya氏に保護解除依頼を出しておきましたので、遅くても一週間後には解除されると思われます。--May.Low 2006年11月24日 (金) 07:01 (UTC)
保護解除依頼はWikipedia:保護解除依頼に出したほうがよいですよ。--これきん 2006年11月24日 (金) 08:29 (UTC)
ご報告です。2006年11月25日午後0時45分に確認したところ、保護は解除されています。皆様、ありがとうございました。--May.Low 2006年11月25日 (土) 03:46 (UTC)

中立的な観点について

現行の版では、中国(中華民国)側の視点に偏りすぎ、日本を侵略マシンと位置づけているように思えます。--ハンカチ皇子 2006年12月14日 (木) 16:39 (UTC)

私は、満州国は独立国家ではなかったと考えます。--以上の署名のないコメントは、210.193.95.18会話/Whois)さんが 2007年3月22日 (木) 08:33 (UTC) に投稿したものです。

満州という不毛の大地に一大文明を築いた大日本帝国の栄光を称えるような項目にすれば、靖国の英霊達も草葉の陰で喜んで頂けるでしょう。勿論、wikipedia 的にはウンコ以下ですが。--222.150.223.191 2007年6月11日 (月) 01:16 (UTC)

間違いの指摘

「概要」の最初の方に出てきていますが、遼を建てたのは女真族ではありません。契丹族であり、系統的にはモンゴル系ですので、女真族とは全く別民族です。 以上の署名の無いコメントは、220.25.108.16会話/Whois)さんが[2007年9月7日 (金) 16:58]に投稿したものです。

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